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2018年01月10日

107回 昭和39年1月 すべってころんでさあ大変


高校3年の年賀状が特等に当選したことで、「今年は良い年になるだろう。」と、私はウキウキしていた。
1月下旬の夜中から冷え込んだ翌朝、小さな庭の松の枝や石灯篭や垣根の上に、雪が降り積もっている。
庭の地面も真っ白で、前の路地も20センチ以上つもり、銀色に輝いていた。
愛犬がしっぽを振って呼んでいるので、私は長靴をはいて外にでる。
「初雪を、踏む嬉しさや、愛犬と。」と、頭に浮かんだ句を口にしながら、まだ足跡のついていない美しい雪の上を、気分よくサクサクと歩く。
その時、なんということでしょう、滑って転んでしまってさあ大変。
そして、雪で隠れていた花壇のレンガの角で、膝を強く打ってしまいとても痛い。
玄関にもどり、ズボンのすそをめくってみると、1センチ角の皮膚が深くめくれて、下の肉が真っ赤だ。
恥ずかしいのだが、しかたなくいつもの病院で診てもらう。
「ひさしぶりじゃのう。」と、先生の顔は笑っていて、テキパキ消毒して薬を塗ってくれ、看護婦さんが包帯を巻いてくれた。
私は苦笑いしながら、「今日はすべったけど、受験はすべらないだろう。」と思うことにする。
化膿止めの飲み薬をもらい、お礼を言って病院を出た。
帰宅し「二度あることは三度ある」ということわざを、思い出す。
もう一度すべったら、短大保育科受験をすべるかもしれないので、二度とすべらない様に注意することにする。
母は、昨日届いたダブルベットの上に置く、ベットパットらしきを作り始めた。
私のすべったことなど気にしていない様子で、「またなのー。」と思っているようだ。
その冬は雪が多かったので、担任が「雪の俳句をつくろう。」と提案する。
「・・・・・ 窓辺でおどる、雪ん子よ」までは思い出すが、上の句は不確か。
「トントンと」「こんこんと」だったかな?
その後、すべることなく、受験することができて胸をなでおろした。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 07:25Comments(0)

2018年01月01日

明けましておめでとうございます


あけましておめでとうございます。
ご愛読ありがとうございます。
あと数話で、高校卒業。
春まで頑張りたいと思います。
よろしくお願いします。
ラムネ屋トンコ  

Posted by トンコおばあちゃん at 12:37Comments(0)

2017年12月01日

第106回 昭和39年冬 高校3年のクリスマス・お正月


高校3年のクリスマスキャロリングとキャンドルサービスも例年通り。
だが、岩国基地で働く青年ダンさんの参加は新しいことだった。
夏休み高校生会活動中に、ダンさんがナナハンオートバイ(大型750cc)でツーリング途中に立ち寄ったのだ。
その後、彼は毎週のようにやってきて、高校生会の活動に参加した。
英文科志望の礼子ちゃんは、英語を使っておしゃべりをしている。
私は、ダンさんの片言の日本語に付き合い簡単な日本語で返事をし、時には日本語を教えることになった。
親しくなった高校生会のみんなともダンさんとも、春にはお別れになるので、本当にひさしぶりに新年かるた会を開くことにする。
隣接する叔父一家が住んでいた家(借家にしていたが当時は空き家)に20人位集まった。
その頃は、二つの部屋の間の襖を取り除けば広間になったので大丈夫。
百人一首は一回だけだが、ゲームをしたり歌ったり楽しく過ごす。
私は、高校生会で有意義な時を過ごせた感謝の気持ちを伝えた。
その後も、昨年同様ピアノの練習を続け受験に備えた。
1月15日に、年賀状の当選番号の発表があり、和子ちゃんから来た年賀状の番号が特等(ダブルのフランスベット)と同じ番号だと発見。
見間違えかもしれないと思い、家族に確かめてもらい、当選が確定し大喜びする。
次の瞬間、ダブルベットをどの部屋に置くかの相談が始まった。
が、和子ちゃんのお父さんは、長年病気で床の上で過ごしておられることを思い出す。
そこで、和子ちゃんの家に「ダブルベットが当たったのよ。使いませんか?」とたずねに行く。
「ベットは軟らかすぎるし大きすぎるから。」と遠慮されてしまった。
そこで、表側の客間に置くことに決めて、当選した和子ちゃんからの年賀状を、郵便局に持っていく。
すると、母方の叔父が出てきて、当選証書を手渡してくれた。
郵便局の責任ある立場になっていた叔父は、自分のことのように喜んで、「近いうち届くぞ。」と言う。
数日後、地方紙の新聞記者が来て、「誰からの年賀状ですか?」など聞き、「写真を撮らせてくれ。」と。
2・3日後、年賀はがき特等当選者3人の写真入りの記事が載った新聞が届いた。
自分の写真が載るのは初めてで恥ずかしいが、小さい記事で目につきにくいので、よかったと思う。
今だったら、個人情報保護で考えられない記事だが、昔はのんびりしていた。

  

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2017年10月31日

第105回 昭和38年秋 ケネディー暗殺と差別問題


高校三年の少し寒くなってきた11月22日、「日米間初のテレビ宇宙中継」が明日早朝行われる事を、テレビニュースで伝えていた。
23日は土曜日勤労感謝の日で学校は休みで、目覚めたのは8時頃だ。
9時頃、2回目の宇宙中継があり、初の宇宙中継はケネディー大統領暗殺のニュースだったことを知り本当に驚く。
今日は「高校生会の24日の行事の準備日」になっていたので、教会へ向かった。
てっちゃん達数人が集まっていて、「ケネディー暗殺」について、驚きの声や残念な声で話している。
ケネディー大統領については、高校生会で時々話題にのぼっていた。
「黒人差別撤廃」「キューバ危機時、第三次世界大戦を回避」「核実験停止、軍縮提唱」「平和部隊の創設」に取り組んだケネディー大統領を知っていた。
私達は、ケネディー大統領を尊敬していたし、好きだった。
暗い気持ちで行事の準備をした。
終わってから、卓球台の置いてある教会学校小学生科の部屋で、卓球をすることにする。
私は卓球が大分上手になっていたので、てっちゃんや靖くん達とラリーやゲームをした。
が、左側に飛んできた玉を、バックハンドで上手く返球できないのが残念だった。
その後、結婚差別や就職差別を受けている人の話を聞き、身近なところで差別があることを知り悲しくなる。
昔のことではなく、今でも隠れたところで差別を受けている人のことを思うと、胸が苦しい。
アメリカでは、大ぴらに黒人差別があり、反対運動も表だって行われている。
どちらの差別も無くなることを願うばかりだった。  

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2017年09月30日

第104回 昭和38年晩秋 ひとみちゃんの下宿


高校3年の秋、近くに住む親しいひとみちゃんの両親が、仕事の関係で引っ越された。
ひとみちゃんは、引っ越し先から遠くて高校へ通学出来ない。
そこで、知り合いのおばさんの家へ下宿することになった。
おばさんは独り暮らしで働いていて、時々出張があり留守になるそうだ。
「おばさんが留守の時、としちゃん泊まりに来てね。」とひとみちゃんが言う。
「ひとみちゃんと一緒に勉強するから、泊まりに行くね。」と家族に伝えて、翌朝の通学の用意をして泊まりに行く。
ひとみちゃんの両親と下宿先のおばさんを、両親はよく知っているので心配していない様子。
時々映画上映をやっている市立公民館の近くに下宿先がある。
常設の映画館が遠くにあるが、観たい映画をなかなか上映しない。
テスト前にかぎって、話題の観たい映画「雨にうたえば」「なぎさにて」などを公民館で上映していた。
テスト前勉強は早く終え、映画を観に行きとても嬉しかった。
この時の楽しみが忘れられず、先になって、てっちゃん達と「映画同好会」を作った。
「ベンハー」などの観たい映画の上映会を開くことになり、前売り券を売りさばくのが楽しかったが忙しかった事を思い出す。
校則で、「外出時は制服着用」と決まっていたが、目だつので私服で公民館に出掛けた。
制服を着ていない男子学生を見かけたが、互いに見て見ぬふり。
ひとみちゃんも短大を受験するとのことだが、勉強はほどほどにしている様子だった。
お琴や映画などの楽しみや、交換日記などを大切にしているようだ。
泊まりに行った時、交換日記のページをパラパラとめくって見せてくれる。
私は養護施設で弘君と再会して、交換日記をしようと願っていた。
ひろさん達と毎週休まず施設に通っているのだが、残念ながらまだ会えず、交換日記は実現していない。
私はにが手な音楽(声楽とピアノ)、毎週施設に行って子ども達と遊びその後一緒に勉強すること、そして高校生会と割と忙しかった。
保育科の受験科目は少なかったので、高校生活をエンジョイ出来た。
  

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2017年08月30日

第103回 昭和38年初秋 国民体育大会


高校3年の秋、国民体育大会が私の県で開かれ、山の高校でハンドボールの開会式と競技が行われることになっていた。
2学期になり、国体ハンドボール開会式入場行進時の出場団体名を書いたプラカード持って行進するために、2・3年女子の背の高い順に数十名が呼び集められた。
私もその中の背の低い方の一人だ。
早速、姿勢を正してプラカードを持って行進の練習が始まる。
まだ暑い放課後だが、ベレー帽をかぶってかっこよく行進することはめったのないことだと、みんな納得して数日間練習する。
国体開催のため、毎年ある体育祭は開かれないので、体育祭を好きな男子は残念がっていた。
いよいよハンドボール開会式当日、背筋をのばしいつもより上手に行進だ。
競技が始まると、プラカードを持った県の代表チームを応援する。
勝ち残ったチームのプラカードを持った女子は、応援で忙しかったが嬉しかった。
そんな時、「県立競技場である国体閉会式に行かんかのー?生徒会役員は皆行けんから。」と、生徒会長が話しかけてきた。
そして、閉会式案内状と国鉄の往復乗車を2枚手渡された。
「ありがとう。家庭クラブ役員を誘って行くわ。」と応えると、「役員でのうてもええぞ。」と彼が言う。
きっと、生徒会役員達は、受験勉強や模擬試験で忙しいのだと想像した。
家庭クラブ役員を誘ったが、みんな都合が悪いと断った。
高校入学時から、私は中学3年のクラスメイトのえみちゃんと親しくしようと決めていた。
が、えみちゃんは庭球部(テニス部)で忙しく、なかなか親しく出来なかった。
2年になって、私が女子クラスに移動したので、会うことも少なくなった。
これはチャンスだと、早速えみちゃんを誘うと喜んでくれ、一緒に行くことになる。
庭球部も他のクラブも、3年秋から部活はしないで、進学などの準備期間に入るようだ。
また、えみちゃんは就職先も決まって暇とのことで、私は大喜び。
当日朝、モクモクと煙をはく蒸気機関車D51(デゴイチ)に乗車する。
下車してから陸上競技場まで徒歩で向かった。
閉会式(記憶がうすい)が終わり、小学2年の時、県庁の近くに引っ越した従妹(お姉ちゃん)宅へ。
別れた時、高校生だったお姉ちゃんは、大人のきれいな働くお姉さんになっていて、あたたかく迎えてくれた。
次の日、秋吉台に3人で出掛ける。

石灰岩のカルスト台地は壮大だったが、ロバの観光用乗り合い車に驚く。
小学5年の時の郊外学習で、同級生みんなは秋吉台を訪れていたが、私だけ参加できなかった。
長距離バスで行くので車酔いが心配で、朝になって微熱頭痛が出たようだ。
親しくしたいえみちゃんと、観光したかった秋吉台で、楽しくすごせてよかった。
クラブ活動のことやクラスのことなど、おしゃべりを続けた。
いつも一緒のクラスメイトとの芦ノ湖の高校修学旅行に負けない、たのしい小旅行となる。
あとで知ったのだが、えみちゃんのお姉さんと私の従妹のお姉ちゃんは、中学高校の時親しくしていたことがわかり、不思議な縁を感じて嬉しくなった。  

Posted by トンコおばあちゃん at 17:45Comments(0)

2017年08月22日

残暑お見舞い申し上げます


とても暑い中、皆様いかがお過ごしでしょうか?
暑さと冷房に弱い私ですが、朝晩公園に出掛け工夫して、気分よく暮らしています。
目が疲れやすく、パソコンがスムースに進みませんが頑張ります。
長らくお待たせしましたが、まもなく再開です。
よろしくお願いいたします。
ラムネ屋トンコ  

Posted by トンコおばあちゃん at 09:41Comments(0)

2017年04月14日

桜満開ですね


右目の再検査を受けましたが、1月より悪くなっていないので、様子を見ることになりました。
視力は手術前より回復(老眼鏡不要)しましたが、右目が歪んで見えるので、両目でも少し歪んで見えます。
チャンと見ようとすると疲れるので、ボーと見ることにしています。
再開は7月の予定です。よろしくお願いします。
皆様のご健康をお祈りしています。  ラムネ屋トンコ  

Posted by トンコおばあちゃん at 11:10Comments(0)

2017年02月09日

寒さの中いかがお過ごしでしょうか


2月初めの眼科検査の結果、9月末手術した右目の状態が良くないことが分かりました。
4月に再検査してから、再開したいと思います。
よろしくお願い致します。
ラムネ屋トンコ  

Posted by トンコおばあちゃん at 12:09Comments(0)

2017年01月01日

新年のご挨拶



ご無沙汰してごめんなさい。
皆様、良いお正月をお過ごしのことでしょう。
私は、11月の第102回の後、目の疲れや肩や手の疲れが出たり、目まいがおこるので、パソコンに向かえませんでした。
整体(鍼・マッサージ・ストレッチ)を受け、体調良くなってきました。
昨年は、3回の目の手術を受け、体力が落ちた気がしますが、今年は取り戻したいです。
ぼちぼち、「ラムネ屋トンコ」を再開したいと思います。
頼りない私ですが、お付き合いくださいますよう、どうぞよろしくお願い致します。
ラムネ屋トンコ  

Posted by トンコおばあちゃん at 19:16Comments(0)

2016年11月04日

第102回 昭和38年初秋 生徒会会則変更


高校3年の2学期が始まり、私は、家庭科クラブの全国大会参加の報告をすることになる。
衣食住や、地域社会・高校生活の問題点を取り上げ、調査・研究・改善実施の発表があったことを、報告した。
その時、高校2年の冬の困った問題を、思い出した級友がいた。
古い木造校舎から、鉄筋の新校舎に移動した時のことで、教室の窓もドアも壁も何もかも新しく清潔なので、みんな喜ぶ。
ところが1ヶ月経った頃から、困ることが出てきたのだ。
寒くなり窓を閉めるのだが、密閉された感じで息苦しい。
時々早弁するクラスメイトがいるのだが、臭いが教室内こもり、教師にバレてしまう。
「後ろの人、ご飯粒が口の周り付いているぞ。」と、教師に注意される。
本当は、ご飯粒は付いていないのだが、早弁をしていた人は大慌てだ。
それよりも、もっと大きい問題がでたのだ。
木造の校舎よりも、鉄筋校舎の床からの冷えがひどく、椅子に座布団を敷いた上に、正座をして授業を受けねばならない。
また廊下を歩く時、木造より鉄筋の方が冷え冷えするので、分厚い靴下を履く人が増えた。
上靴をちゃんと履けず、つっかけるだけだ。
「分厚い靴下を履いて、上靴をつっかけている人がいるが、危険だから上靴をちゃんと履いて下さい。」
「生徒会会則を守って、上靴をちゃんと履ける厚さの靴下を履きなさい。」などと、スリッパを履いている教師に、注意された。
「生理中は特に冷えた感じで、生理痛が酷くなった。」と、言うクラスメイトが増えた。
「冬の冷える時は、分厚い靴下を履いてスリッパを履きたい。」という声がでていた。
冷え始めた秋になり、再び「スリッパを履いてもよいことにしてほしい。」という声があがる。
「寒くなる前に、スリッパを履いてもよいことに、生徒会会則を変えて欲しい。」という意見も多くなった。
生徒会会則は、全校生徒の3分2の議決で変更できると、会則に明記してあったのだ。
家庭科クラブの委員会で議題になり、女子クラスで話し合った結果、生徒会(男子クラス・男女クラス・女子クラスの全校生徒が含まれる)に規則変更を申しこむことにした。
男子クラスにも男女クラスにもスリッパを履きたい人がいて、とんとん拍子に進む。
生徒会総会が開かれ、寒くなる前に、スリッパを履いてもよいことに決めることが出来た。
自分たちの意見を出して、会則をより良く変更するために、考えたり話し合ったりすることは楽しい。
教科書を読んで理解する学習より、家庭クラブの研究や生徒会活動のほうが、よほど勉強になる気がした。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 22:18Comments(0)

2016年10月29日

11月から再開致します


ご心配をお掛け致しましたが、目の手術を無事終えました。
1ヶ月のんびり過ごし、「ラムネ屋トンコ」を再開出来るようになりました。
今後もどうぞよろしくお願い致します。
ラムネ屋トンコ  

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2016年09月27日

入院のため、1ヶ月位お休みさせて頂きます


右目の網膜に不要な膜があるので、月末除去手術を受け1週間入院することになりました。
すでに左目の同様の手術を受けたので、慣れています。
が、手術後毎日4回、3種類の目薬の点眼が、少々大変でした。
視力低下がゆっくりになるとのことですが、以前より視力が良くなった気がします。
体力が戻ったところでの手術で、よかったかなと思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
ラムネ屋トンコ
  

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2016年09月22日

第101回 昭和38年晩夏 家庭クラブ全国大会


高校3年の8月下旬、高校家庭クラブ全国大会が錦帯橋のある岩国で開かれた。
家庭科教師の御手洗先生と増野先生と、家庭クラブの会長の私ともう一人の計4人で、参加することになる。
実は、4月に家庭クラブのクラス委員を引き受けたところ、その中から会長などの4役を決めることになった。
私は、「書記なら引き受けるよ。」と言った。
が、会長を引き受ける人がいないので、私が会長を引き受ける。
会長の仕事は、行事の司会役や会議の議長役で、書くことはなく楽ではあった。
例年の通り、秋から冬にかけて研究発表会や展示会と、夏の校舎裏の草ひきや高校野球応援の協力などの、活動計画を立てる。
岩国で開かれる全国大会参加も決めていた。
6月には、私達が2年の時研究した「シミーズ」が出来上がって、カネボウから届き、クラスみんなで大喜び。
高校野球の応援団では、私は目立たないようにしていた。
弟が、同じ高校に入学していたからだ。
1回戦で敗退して残念だったが、私は内心ほっとする。
3年女子は練習日にカレーライスを作ったりして、野球部を応援していたので、くやしがっていた。
家庭クラブ全国大会の会場は、古い旅館風な大きい建物だった。
主なプログラムは、全国の優秀な研究発表だ。
布の種類別に粉石鹸・モノゲン(当時、羊毛の衣類の洗剤として販売されていた)固形石鹸・液体せっけん(当時珍しかった)で洗濯後の状態を調べるものがあった。
木綿・麻・絹・ウール・その頃増えてきた化繊の衣類を、それぞれの洗剤で冷水・ぬるま湯で洗い、汚れの落ち方や縮ぐわいなどを調べている。
他にも、農村主婦・商家主婦・専業主婦のそれぞれの労働時間・家事時間を調べ、問題点・今後の工夫点などの発表もあった。
学校生活を快適に能率的に送るための、調査・研究・実施の報告もあった。
どれも本格的なもので、実際役立つので感心しつつ、私も見習いたいと思いながら聞く。
私の母は、石油コンロを買う時、温度調節付きアイロンを買う時など、「暮らしの手帖」という雑誌を買ってきて、商品検査の結果を参考にしていた。
家庭クラブの研究発表は、その雑誌と同じように、とても素晴らしい内容だと思った。
また、私達の発注した「シミーズ」も紹介され、全国の女子高校生の希望者が着用することになり、嬉しくなる。

  

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2016年09月20日

まもなく再開いたします


お休みごめんなさい。
団地の最上階の私の住まいは、夏の間室温30~35度以上になるので、冷房を付けっぱなしにしています。
私は暑さと冷房に弱く、温度差にも弱いので、しばしばフラフラでした。
やっと睡眠中エアコン不要になり、元気に目覚めることが出来ます。
どうぞ、今後もよろしくお願い致します。
ラムネ屋トンコ  

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2016年07月29日

暑中見舞い申し上げます


あまりの暑さに、24時間冷房を入れっぱなしの生活です。
朝夕は、公園に出掛けています。が、少々夏バテです。
しばらくお休みさせて頂き、涼しくなったら再開致します。
よろしくお願いします。
ラムネ屋トンコ   

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2016年07月10日

第100回(2) 昭和38年8月 原爆ドーム保存運動


高校3年の8月、原爆ドーム保存のための署名用紙と募金箱を持って、駅前にいた。
大きい声で呼びかけていると、驚いたことに通りの向うから、小学生の時広島から越してきた百合さんが、ゆっくり歩いて来た。
中学卒業後初めて会った百合さんは、「としちゃん、ありがとう。少しだけど。」と言って、募金と署名をしてくれる。
「帰りに角のたばこ屋に寄ってね。」と、百合さんは駅前のたばこ屋を、指差した。
「署名と募金をありがとう。必ず寄るね。」と、私は応えた。
次に父が様子を見に来て、署名と募金をしてくれたので、少々驚く。
原爆ドームのことは詳しく話していなかったのに、来てくれたので嬉しい。
暑いのと高校野球のラジオ放送のためか、やはり人通りは少なく、数人の募金と署名だけだった。
帰りにタバコ屋に寄ると、百合さんはホウキを持って、掃除をしている。
手を休めて、奥から手さげ袋を持って来て、その中から手帳を出した。
「これは私の被爆者手帳なの。いじめられたり差別されるから、絶対他人に見せたらダメと、お母さんが言ったの。」
「でも、としちゃんにだけには見せるわ。」と手帳を見せながら、百合さんは話す。
「私は疲れやすいから、高校に行けないし人並みに働けないの。ここのお店のおばさんは親切な人で、私を働かしてくれるのよ。」
「食事を食べさせてくれるし、お小遣いもくれるの。」と百合さん。
私はやはり百合さんは被爆していたんだと思いながら、「それは大変ね。体を大事にしてね。」としか言えない。
そして、疲れやすくても頑張って働いている百合さんのことを、すごいなーと感心するばかりだった。
家に帰ってから、町内の病院の先生・散髪屋・ふすま屋・美木さん達の家にお願いに行くと、快く署名と募金をしてくれた。
私の町内の人が戦争のことを話すのを、あまり聞いたことがない。
「戦争時余りにもひどい状態だったので、話したくないし思い出したくないようだ。」と、以前父が言っていた。
原爆ドーム保存の署名募金活動を通して、町内の人達の平和を願う気持ちと、原爆反対の気持ちが伝わって来て、嬉しくなる。
しかし、被爆して苦しんでいる人が、いじめられたり差別されることを知り、悲しくなりずっとが心から離れないままだった。  

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2016年06月18日

第100回(1) 昭和38年8月 広島原爆ドーム保存運動


高校3年になった時、「原爆の投下された8月6日に広島に行こう。」と、高校生会の哲ちゃんや良夫君達と約束していた。
前日の原水爆禁止世界大会は、日本共産党系と社会党・総評系のグループの見解の相違で、大会開催が危ぶまれていることをニュースで知った。
「どうなっているか、行って見よう」と、話し合って出かける。
広島平和公園は人々でごったがえしていて、なにやらマイクで演説しているようだが、ざわついて聞こえない。
「社会党・総評系の人達が、今日集会を開いたらしい。」と誰かが言っていた。
「原水爆禁止協議会が分裂するんじゃないかのー。」と、哲ちゃんが言う。
原爆ドームは思ったより大きく存在感があり、人の少ない所で鳩がよちよち歩いている。
その後、私達は原爆資料館を見学することにした。
今までに見たこともない悲惨な被ばくした人々の写真や、焼け残った衣服・カバン・生活用品を見て、愕然とすろ。
被爆者の方達の痛々しさを感じ、今も苦しい生活をされているかと思うと、言葉も出ない。
おしゃべりの私だが、無口になり、山陽本線の列車に乗り帰宅した。
小学6年の時、広島から引っ越してきた百合さんが、被爆者ではないかと思っていたこともあり、私は原爆反対の活動をしたいと思っていた。
その日、広島で原爆の酷さを見て、原爆反対の気持ちをより強く持つ。
少し前、高校生会に広島から、原爆ドーム保存のための署名用紙が届いていた。
8月6日の数日後、教会学校の先生から、署名用紙と募金箱を受け取る。
外はカンカン照りなので麦わら帽子をかぶって、一人で駅前に出掛けた。
哲ちゃん達は仕事で出勤だったし、高校の友達は田舎に行っていたので、私一人で募金活動を始める。
私は、一人でも署名活動をしたいと思ったのだ。
駅前の商店街は人通りが少なく、商店の中から高校野球のラジオの実況放送が流れている。
「原爆ドーム保存のための、署名と募金をお願いしまーす。」と声を上げるが、ラジオから聞こえるアナウンサーの声と大声援に、私の声は消されそうだっだ。
  

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2016年06月04日

第99回 昭和38年盛夏 音楽の勉強


高校3年の1学期末、担任が「就職試験受験の会社から、不採用と連絡があった。」と申し訳なさそうだ。
「この数日で状況が変わり、短大保育科に進学することにしました。」と伝える。
担任は、「それはよかった。」と嬉しそう。
次の日、園長先生の勧められた西宮の短大保育科を、受験することに決めた。
日曜学校の先生だったミカさんが、ピアノ教本バイエルと声楽の教科書(コーリュ-ブンゲン)を、週一回教えてくださることになる。
小学の時、ミカ先生は、原爆ドームや被爆少女サダコさんの事を話して下さった。
私が尊敬し憧れている女子大生で、教会の聖歌隊のオルガン奏楽もコーラスもとても上手だ。
ミカ先生宅に伺うと、すぐにおしぼりを出して下さり、扇風機も付けてくださる。
行き届いた心使いに感謝しながら、レッスンを受ける。
学校の音楽の授業で学んだことを思い出し、ピアノの上にまず右の手の指を拡げて置く。
親指を上にあげてから鍵盤をポンと打つことを教わる。
親指・人差し指・中指・薬指・小指に1・2・3・4・5と番号がついていている。
英文タイプのテキストにも、指の番号が書いてあり、番号通りに指を動かすのには、少し慣れていた。
「指を番号通りに動かせるのは、すごいわ。」とミカ先生が褒めてくださる。
英文タイプを3ヶ月習っていたことを話すと、「それはよかったわ。指を1本づつ動かすことは、難しいのにそれが出来るなら、ドンドン進むことが出来るわ。」とミカ先生。
ひろさんが誘ってくれたタイプを習って、本当によかったと思う。
ミカ先生は、良いところを見つけて励ましてくださるので、続けることが出来る。
また、3時頃レッスンの時は、おやつまで出してくださるので、その後も頑張れる。
夏休み中ほぼ毎日、幼稚園のピアノを借りて練習するが、指を一本づつ上げてポンと打って弾くことは難しい。
雨の日は、近くの瞳ちゃんの家のピアノを借りることにした。
瞳ちゃんは、楽譜を見てすぐに弾けるので感心する。
ミカ先生は、手本にバイエルの曲を一回弾いてくださるが、慣れないバイエルの曲を瞳ちゃんも弾いてくれるので感謝もした。
私は長い時間集中できず進み方も遅いので、瞳ちゃんは「大変ね。」と、同情しつつ応援してくれる。
嬉しくなり、頑張ろうと自分を励ましつつ、練習する。  

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2016年05月17日

第98回 昭和38年夏 幼稚園の先生に? 


高校3年の7月の就職試験の翌日、キリスト教会付属幼稚園の園長先生が、我家に来られた。
「就職試験を受けたのですか?」と、園長先生が質問なさる。
「受けたのですが、定員オーバーで受からないと思います。」と応えると、ホッとした表情になられた。
「実は、幼稚園で働いて欲しいので、お願いに来たんですよ。」
「としこさんは、楽しく遊ぶことが出来るので、幼稚園の先生に適しています。先日の子ども運動会でも、一番楽しく参加していましたよ。」
「是非、考えてみてくださいね。」と、先生が話された。
私は、驚くと共に嬉しくなる。
「嬉しいです。父母と相談して、お返事します。」と応える。
最近、笑顔を褒められるが、アルバイト中は、いつも笑顔でお客さんと接するよう心がけ、良い店員のお芝居をしている感じだ。
また、お世話になっている人には、笑顔で接しようと思っている。
が、遊びやリクレーションの時は、無意識で自然に笑顔で楽しんでいる。
園長先生が、自然のありのままの私を認めてくださったので、私は今までにない嬉しさと勇気を与えられた気がした。
先生が帰られた後、さっそく母に伝える。
「幼稚園の先生の助手に勧められたの、幼稚園で働きたいの。」と、母も笑顔だった。
翌朝、「お父さんは、小学校の先生になるんじゃーなくて、幼稚園の先生だからいいと言ってるよ。」と母。
早速、幼稚園に隣接している園長先生宅に、私は出向いた。
「昨日は、ありがとうございました。幼稚園で働きたいのですが、音楽に自信がないのです。」
「音楽の勉強をしなければと思います。それでもよければお願いします。」と伝えた。
「それは、嬉しいことです。出来れば、短期大学の保育科に行くことを勧めます。」と話される。
幼稚園の先生のほとんどは短大保育科卒業で、幼稚園教諭の免許を持っていることも知っていた。
2年間、保育の勉強をしたいし、特に音楽の勉強をしてから、幼稚園で働くほうがよいと思えた。
家に帰り「短大保育科に行くことを勧められたの。行きたいな。」と、母に伝える。
「お姉さんも短大に行ったんだから、としちゃんが短大保育科に行くことに賛成よ。お父さんに頼んでおくよ。」と母。
父は反対する理由は無かったらしく、賛成した。
歌は下手で、オルガンは「チューリップ」の曲がどうにか弾けるだけの私は、予想外の大きなチャレンジをすることになる。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 20:00Comments(0)