› ラムネ屋トンコ › 2014年06月

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2014年06月30日

第63回 昭和35年初春 別れ(2)


卒業式当日、式は無事終わり、これで卒業式の練習がなくなるのでホッとした。
その時、真知子ちゃんの姿がない事に気付き、体調が良くないから無理せず休んだのかな?そのほうが良かったと思う。
下校途中、真知子ちゃんと同じクラスの友達が「真知子ちゃん、昨日大島山に登った時は元気じゃたのに、どうしたんかね?」と話している声が聞こえた。
「真知子ちゃんと山登りしたの?」と確かめると、「そうよ。」と返ってくる。
真知子ちゃんは、土曜日疲れているようだったのに、日曜日に山に登ったのだ。
私は、驚いたし胸騒ぎも感じたので、真知子ちゃんの家に寄ることにした。
玄関の外から、「ごめんください。」と声を掛けたが、誰も出てこない。
戸を開けると、土間に何時もより多くの履物が並んでいた。
もう一度「ごめんください。」と言うと、しばらくして、会ったことの無いおばさんが出てきたが、しずんだ様子だ。
「真知子ちゃんは?」と尋ねると、「今は、眠っているのよ。またね。」と言う返事をして、すぐに奥へ行ってしまった。
只事ではない気がしたので、私は動揺した。
家に帰る途中教会の前を通った時、牧師先生に真知子ちゃんの事を尋ねようと寄ってみたが、牧師館は留守だ。
ますます心配になり、礼拝堂に入る。
私は、初めて神様に「お願いのお祈り」をしようと思った。
「真知子ちゃんをお守りください。」と数回心の中で祈った後、落ち着いたので、帰宅した。
次の日学校に行き、真知子さんが亡くなった事を聞き、呆然とした。
「午後、葬儀がありますから、参列したい人は行ってもいいですよ。」とのことだ。
真知子ちゃんのクラスメイトと一緒に教会に行く。
土曜日、やはり真知子ちゃんは疲れていたのだ。
もっと強く「休むのよ。」と言えばよかった。
「休まなくちゃだめよ。」と言うべきだった。
そのことが頭の中いっぱいになった。
葬儀では、讃美歌、聖書朗読、牧師先生のお話やお祈りがあったが、私にはちゃんと聞こえなかった。
最後に白いお花を棺おけに入れて、真知子ちゃんの顔を見てお別れする時の事だけは、今でも目に浮かぶ。
日曜学校の部屋に、ほんとうにかわいらしい幼な子がお祈りをしていて、背に天使の羽が付いている聖画が掛けてある。
真知子ちゃんの顔が、その聖画の幼な子とそっくりだった。
「神様の御心で、真知子は天国に行ったのよ。だから悲しまないでね。泣かないでね」とお母さんがクラスメイトに話されたそうだ。
その言葉は、私にすんなり入ってこなかった。、
次の日もその後もずっと、真知子ちゃんの疲れた青白い顔と「もっと強く休むように言うべきだった。」という残念な気持ちばかりが浮かんできて、私は他のことは何も手に付かなっかた。
土曜日の午後、日曜学校の先生が、私の家に尋ねてこられた。
「明日の日曜学校で、真知子ちゃんとのお別れの会を開くので、真知子ちゃんの思い出とお別れの言葉を話して欲しい」と頼まれた。
「私よりも、真知子ちゃんともっと親しかった友達に頼んで下さい。」と返事する。
私は休むように言ったのに休まないで、もっと親しい友達と山に登ったのだと思っていたのだ。
「みんなに聞いたら、としこさんと一番親しかったと言っているよ。ぜひ、話して下さい。」と先生。
一番親しいと言われて嬉しい反面、つらいことを話さなければならないので複雑な気持ちだった。
次の日、日曜学校の礼拝で、「真知子ちゃんは、いつも日曜学校に来て、神様に喜ばれることをして生きてきました。神様が、真知子ちゃんを天国に招きました。私達は悲しむのではなく、又会う日まで、神様に喜ばれる生き方をしましょう。」と牧師先生が話された。
私の番だ。
「真知子ちゃんは、小学入学後から、何度も日曜学校に誘ってくれました。花の日・収穫感謝の日・夏の一日キャンプ・クリスマス会など、参加していつも楽しくて良かったなと思います。その時々の真知子ちゃんの姿が、目に浮かびます。天国から、私達を見ていると思って、今までのように色々な活動をしていこうと思います。」と、思い浮かぶ事を話して終わりました。
この時、クリスチャンは、死や色々な出来事を神様の御心と信じる事を知った。
私にはその様に信じる事はできなかったが、真知子ちゃんは死んでしまったのだと納得できた様に思う。
そして、真知子ちゃんのように、優しい人になりたいと思ったし、今までいつも誘われる立場だったけれど、これからは、誘う人になりたいと思うようになった。
その後、真知子ちゃんのことを思い出す私は、中学3年になり高校生になったが、真知子ちゃんはいつもや柔和な笑顔の中学2年生だ。  

Posted by トンコおばあちゃん at 15:24Comments(0)

2014年06月30日

第63回 昭和35年初春 別れ(1)


中学2年の3学期学年末テストの前、親しい真知子ちゃんと、テストに出そうな問題を教えあった。
テストが終わって、「テストの点が上がったんよ。うれしーい!」と真知子ちゃん。
私も、テストに出そうな問題を1回写しただけで、それ以上復習をしていないが、点数が上がった気がする。
3月に入り、日曜学校の「卒業と進級と入学のお祝いの会の準備を一緒にしようね。」と2人で話し合い、楽しみにしていた。
3月中旬、中学の卒業式に在校生代表で、私達2年生が参列するので、式の練習が続いていた。
卒業式の前々日の土曜日に予行演習が行われ、起立、着席、礼、校歌など長い練習がやっと終わった時、私はうんざりして疲れを感じた。
さあ帰ろうと思って後ろを見た時、ひときわ目立つ白い顔が目に入った。
真知子ちゃんの顔で、いつもより青白くボーとしているようなので、彼女の所に跳んで行った。
「真知子ちゃん大丈夫?疲れた顔をしちょるよ。」と声を掛けた。
「ちょっと疲れたねー。」と、返事が返ってきた。
「自分の卒業式じゃあないんよ。えらかったら、卒業式は休んだほうがええよ。」と伝えた。
「そうじゃね。でも、大丈夫と思うよ。」と真知子ちゃんは応えたが、元気のない声だった。
私も疲れていたが、家に帰って昼食を摂ると元気になり、しずちゃん達と遊んで過ごした。
日曜日の夕方、しずちゃんのお兄さんのモターボートに乗せてもらった。
切戸川の河口は比較的水がきれいで、川底が見え丸い石が数多く敷き詰められたようだ。
その石が時たま動くように見えるので、「何か動いていちょるよ。」と私。
「最近、タコがおるらしいから、蛸壺をつるして、時々あげてみると中から出てくるぞ。」
「川底をトントン突いちょると、タコが引っかかる事があるんじゃ。」と、熊手のようなモテキを付けた竿を貸してくれた。
言われた通りにしていると、しばらくしてほんとうにタコが釣れたので驚いた。
しずちゃんの家では、いつも珍しい事があり楽しい。
明日は卒業式に参列するので、早めに帰宅することにしたが、途中で真知子ちゃんの事を思い出し、少し気がかりだった  

Posted by トンコおばあちゃん at 15:24Comments(0)

2014年06月16日

第62回 昭和35年1月 洋装店のアルバイト(2)


2年生の成人の日の朝、いそいそと洋装店へ向かった。
店員のお姉さんに挨拶をしてから、店の前の掃き掃除を終えると、「待っちょったよ。端切れの係をお願いね。」とおばさん。
店先に大きいテーブルを出して、お姉さんと一緒に端切れを並べた。
開店の10時には数人のお客さんがやって来た。
「いらっしゃいませ。」「ありがとうございます。」の挨拶をして、お客さん全員に笑顔を忘れなかった。
端切れはどんどん売れ、「若い店番さんだと、安い端切れを買いやすいよ。」と言って数枚買う人もいた。
私は、気をよくしてますます笑顔で接した。
お昼は、お手伝いのおばさんの用意した魚の塩焼きや味噌汁などを、美味しくよばれた。
その後忙しかったので、あっという間に閉店の5時になった。
「端切れが、よお売れてえかったわ。笑顔で挨拶もちゃんと出来て、ええ感じじゃったよ。」
「本当に助かったんよ。明日も手伝いに来てちょうだいね。」とおばさん。
「楽しかったです。明日も学校が終わったらなるべく早く来ます。よろしくお願いします。」と挨拶して帰宅した。
私は、丁寧に挨拶する事が大切な事と知ったが、これは茶道の稽古の時の先生やお弟子さんを見習っているのだ。
茶道で、お抹茶を立てる事は上手ではないが、挨拶が出来るようになって良かったなと思う。
二日目は土曜日で、午後だけ手伝ったが、服地はかなり売れたようだし、端切れもずいぶん売れた。
三日目の日曜日、開店前のお掃除を終え、店先の端切れのテーブルに付いた。
端切れが残り少なくなったので、お店の中の服地の整理係もする。
早めに終わり、お掃除と明日からの平常のお店の準備を手伝う。
いろんな人と接して会話したり、お掃除など体を動かすことも、みな楽しい劇の一こまだと思った。
「又、忙しい時手伝いに来てね。アルバイト料よ。」と言って、おばさんが封筒を渡してくれた。
「ありがとうございます。是非又お願いします。」と言って店を出た。
「おっちょこちょいや、失敗をしなかったので、よかった。」と胸を撫で下ろした。
準備から楽しい日曜学校のお祝いの会と、もう一つ、洋装店のアルバイトの楽しみが出来て嬉しくなり、足取り軽く家路についた。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 10:26Comments(0)

2014年06月09日

第62回 昭和35年1月 洋装店のアルバイト(1)


中学2年の11月から、母は、服地を買っている洋装店のおばさんから、仕立物を頼まれるようになった。
冬休みの終わりの日、母が、私に仕立物を届けるよう言う。
駅に行く途中にある元町洋装店に着くと、彩りよく並んだ服地の陳列台が目に入る。
挨拶もそこそこ、「サージの生地の中で、この紫色が好きだわ。赤が入ったツイードでコートを作るとええね。ビロードもギンガムもこんなに種類があるんじゃね。」など、つい口に出た。
「よく生地の名前を知っちょるね。」と少し驚いた声で、お店のおばさんが言った。
「母が仕立てる時、生地の名前をいうので、いつの間にか覚えたの。」と私。
「もうすぐ、冬物半額大売出しを三日間するんよ。それだけ生地の名前が分かるんじゃったら、手伝いにきてちょうだい。忙しいから助かるんよ。」とおばさん。
「はい、手伝いに来ます。」と即座に返事をした。
おばさんは父の姉と特に親しかったようで、気楽に接してくれるので、親戚のおばさんという感じだ。
こんなきれいな色のある店で、手伝いができるなんてと嬉しくなる。
ついこの前の年末も、近所のチェンストアーの手伝いを頼まれたので、店員役の劇つもりで面白かった。
おばさん達が喜んでくれて、その上お小遣いを貰えたのだ。
以前は、母は食費のお金だけまとめて父から貰い、他の必要な物の代金はその都度貰っていた。
最近は、父から家計費5.000円まとめて貰い、使い切ったら又5.000円貰い、家計簿を付けている。
必要な学用品の代金は、その都度母が支払ってくれる。
また、毎月、私に自由に使える500円の小遣いをくれるようになり、小遣い帳を見せなくてもよい。
だが、クラブ活動からの帰りに、キャベツ焼きを食べたり、お祭りに行って何か買うと、お小遣いが足りなかったので、お店からお小遣いを貰えると本当に嬉しい。
今度も洋装店で、今までより丁寧な言葉遣いをして、笑顔で店員役の劇をしようと楽しみになった。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 12:37Comments(0)

2014年06月05日

第61回 昭和34年冬 真知子ちゃんとクリスマス(2)


クリスマスの日の午後、クリスマス会30分前に準備のため、係りのメンバーが集まった。
「やかんに紅茶を入れて、沸いたお湯を注ぐのよ。」
「2~3分蒸らしたら、茶漉しを通して別のやかんに入れるのよ。そこにお砂糖を入れたら出来上がりよ。」とミカ先生が教えてくれた。
紅茶は初めての私は、入れ方が分かっただけでも嬉しくなった。
いよいよ会が始まり、まずクリスマスの讃美歌「もろびとこぞりて」「きよしこのよる」をうたう。
次に自己紹介だが、哲ちゃんがわざと間違えてみんなの笑いを誘い、なごやかになる。
「大きなもみの木の下で」を動作付きで歌った後、まず歌詞の「大きな」を歌わないで動作は続け、次に「大きなもみの」も歌わず動作を続けるゲームが始まった。
最後には無言で動作だけをするのだが、間違う人もいて大笑い。
他にもゲームをしたが、一番盛り上がったのは「椅子取りゲーム」だった。
2部は茶話会。
「紅茶が冷めていたら、ちょうどいい温度に温めてから出してね。本当は入れた時に飲むのが美味しいんだけどネ。」と準備の時ミカ先生が言っていた。
そのようにして味見をしてみたら、初めての紅茶はとても美味しい。
お菓子を食べながら紅茶を飲み、みんな笑顔になって会話が弾み、「また、やりたいなー!」の声が上がった。
「卒業生と新入生の歓送迎会をイースターにしましょう。」とミカ先生。
自分達で話し合って決めて準備し、こんなに愉快な時が過ごせて、今までで一番楽しい時と感じ、次も準備の時から参加することにした。
クリスマスの前に、我が家にテレビがやって来た。
「いつも散髪屋に(弟が)テレビを見に行って迷惑だから、そろそろ我が家も買おう。」と父が言ったようだ。
「本当は、お父さんが観たくて欲しいから買ったのよ。」と母は言う。
その日の夜から、父は在宅しテレビを観るようになり、チャンネル権は父にあるのだから、やはり父が観たいから買ったのだと思う。
大体、父は夕食後から9時まで観ているが、歌舞伎中継の時だけ遅くまで観ている。
私は、父の好きな番組にお付き合いして観たいので、宿題をせねばならない日は忙しい。
コマーシャルの間ごとに、数学の問題を解くことにしたが、私は一つのことしか集中出来ないから、その時は、テレビの音声は聞こえなかったから大丈夫だ。
弟は夕方嬉しそうに、まんがの番組を観ている。
父の好みの番組が無い水曜日は、トランプなどの「ゲームの日」は続いた。
他の曜日にお気に入りが無いときは、父は今まで通り友達の所に出かけるので、家族は好きな歌番組などを観られるので喜んだ。
9時からは、私の好みの番組が観られので、テレビドラマを観始めるのはいいが、途中で眠くなり、気付くといつも11時になっており、番組が終っている。
今夜こそは最後まで観ようと頑張るが、いつも途中で眠ってしまいとても残念だ。
年末年始は、家族でテレビを観ることが増え、百人一首のかるたやトランプなどは一回しただけだ。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 11:20Comments(0)