› ラムネ屋トンコ › 2014年10月

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2014年10月29日

第75回 昭和36年別れの春 いよいよ中学卒業


中学3年の年末は、近くの商店の手伝い、百人一首を詠むこと、テレビを観るなど例年通りだった。
今年になって、ひとつだけ変わったことがある。
去年、私はしずちゃんの家でマージャンを教えて貰い、トランプより好きなり楽しみになっていた。
一方、父は、最近引っ越してきたお宅の人に「マージャンのメンバーが足りないから・・・。」と誘われ、いそいそと出掛けた。
「トランプのセブンブリッジに似ているから、すぐ分かった。トランプより面白い!」と、自慢げに帰って来る。
次の日、父がマージャン牌を買ってきて、父と姉弟4人でマージャンを始めた。
昨年までの毎週水曜の「トランプの日」は、「家庭マージャンの日」に変更になり、みんな夢中になる。
私は、水曜の午後は運動や遊びを少し控え、気力体力と頭をちゃんと使ってマージャンが出来るようにした。
近所のおばちゃんが「受験生がいる家とは思えんね。」と言っているらしい。
雪がわずかだが降った日もあったが、通学途中の梅がほころび初め、春の気配が感じられる様になった。
クラスみんなの受験校も決まり落ち着いた様だが、受験時の心配があり、少々ピリピリした雰囲気だ。
2年の時同じ組だった弘君が、市内の工業高校の新設の電気科を受験するらしいと伝わってきた。
大学受験希望者は、山の高校のほうが有利らしく、「弘君はどうして工業高校にいくんじゃろう?」と友達が言う。
「どうしてじゃろう?」と相槌を打つと、「そりゃー、頭が良えから電気科に行くんじゃろーと思うよ。」
「自分で聞いて見れば。」と友達が言ったが、納得したし男子と話す習慣がなかったので、わざわざ聞きに行かなかった。
中学3年になってたまに会話した男子は、クラス委員をしていたトオル君と伸太君とそれから賢チャン、日曜学校に通っている哲ちゃんだけの気がする。
工業高校の定員が増えたこともあり、成績の良い女子も何人か受験するようだ。
私は、絵の先生になりたい気持ちがあるので、山の高校に受験することにした。
そんな時、「今年は、中学開校以来始めて、高校合格率100パーセントが可能になると期待していた。」と担任がしゃべり始めた。
「ところが、山の高校に合格無理な7人が受験するので、100パーセント全員合格は残念ながら無理になった。」
「この組は、みんな合格できる高校に受験するので、良かった。」と担任。
それを聞いて、私達一人ひとりの受験生よりも、合格率を重要視しているように思え、気分が悪くなる。
そして、高校入試を終え合格発表があり、クラス一同無事卒業することになった。
クラスの数人は、家を離れて集団就職で遠くに行くのだが、「夕方から、定時制高校に行けるのよ。」と話すので、頼もしさを感じる。
「3年後に、クラス会をしようね。」と、再会を約束して別れた。

  

Posted by トンコおばあちゃん at 11:16Comments(0)

2014年10月20日

第74回 昭和36年初春 カズオ君の思い出


中学3年の2学期に転校してきたカズオ君は、時々学校を休んでいたが、3学期になり欠席が続いたので、みんなは心配し始めた。
彼は、数学と英語の授業の時は、促進学級に行っている。
「カズオ君の家に行って、学校に来るように言ってくれ。」と担任が、女子のクラス委員に頼んだ。
委員は友達と2人で、カズオ君の家に行って、担任の伝言を伝えたそうだが、カズオ君の欠席は続く。
そこで、カズオ君の隣の席で、時々話を聞いていた私が、様子を見に行くことになった。
昨年、「お父さんの仕事の関係で、1年間に1・2回転校してきたんだ。オレは仕事の手伝いをしたり、飯作りをしよる。」と、カズオ君は話していた。
「時々学校を休むから、勉強に付いていけんかった。促進学級に行くけど、おもしろうないから気が進まん。」と彼。
それでも、彼はしっかり生活していると、私は思った。
「お父さんは、義理人情を大事にしとる。」とも彼は言ったが、我家では使わない言葉なので、よく分からない。
下校時、カズオ君の所に寄った。
「コンニチワー。元気そうで安心したよ。お父さんの手伝いで忙しいの?」と声をかけた。
「うん。ちょっと忙しいんじゃ。促進学級にとしこ君と一緒なら行くんじゃけどな。」と、カズオ君はうかぬ顔だ。
促進学級に誘われた気がしたので、「そっかー。考えちょくわ。」と私は応えた。
「今から、買い物に行って、夕めしを作るんじゃ。」とカズオ君
「体に気を付けてね。また来るわ。」と言って別れた。
私は、ずっと前にも、促進学級に誘われたことがある。
脚が不自由で勉強も遅れがちという1年下のあきら君が、朝から促進学級で縄編み機に藁を差し込んでいて、真剣な顔だった。
1時間目の授業の後、廊下を歩いていると、あきら君がまだ縄を作っていて、随分長く出来ているのが見える。
「まだ頑張っているの!すごいね。むずかしいの?」と聞いた。
「初め慣れんじゃったけど、今じゃあ簡単じゃ。教えちゃろうか?」
「この教室に来たら何時でも出来るぞ。先生に頼んじゃろうか?」とあきら君。
あの時も、「考えちょくわ。」と言ったきりだったが、今度は先生に頼んで、促進学級に行ってみようと思った。
次の日、カズオ君のことをみんなに伝えようとしていると、始業すれすれに、彼がやって来た。
隣の席に座って、「としこ君に、義理人情を感じたから、来たんや。」と言う。
その日は、国語・音楽・体育などの授業があり、促進学級に行く数学や英語がなかったので、カズオ君は冗談を言ったりして陽気に教室で過ごした。
次の日から、またカズオ君は来なくなった。
担任から、お父さんの仕事の都合で、急に転校したと聞かされる。
一緒に、促進学級に行こうと思っていたのに、残念だった。
彼は、どこでも賢く暮らせるから大丈夫と思いつつ、健康を祈った。  

Posted by トンコおばあちゃん at 14:45Comments(0)

2014年10月13日

第73回 昭和35年冬 中学3年のクリスマスの頃


中学3年のクリスマス前、日曜学校の中学科で、隣の市の親のいない子ども達のための養護施設を訪ねることになった。
教会の人達から預かったお菓子や本や衣類などのクりスマスプレゼントを持って養護施設(当時は、戦前のように孤児院と言う人もいた)にむかう。
大きな木のあるお寺の施設に到着後、大きい部屋に子ども達が集まったところで、クリスマス会を開いた。
クリスマスの歌に続いて、ハンカチを上にあげた時は笑い、下におろした時は笑わないというゲームを始め、賑やかになる。
「オーチタ落ちた!アーメが落ちた。」のゲームの時、手を小さく広げる子や大きく広げる子や口を大きく開けて上を向く子がいて大盛り上がりだった。
また、「オーチタ落ちた・雨が落ちた。」の時は、傘をさす格好の子もいたが、幼い子達は飴と思い戸惑っていたが、愉快でみんな大笑いした。
終ってから、庭で縄跳びなどして元気に遊んでいると、日曜学校と施設の先生達の話し声が聞こえてきた。
「色々な物を届けてくださって、とても感謝しますが、必要な物はちゃんとあるんですよ。」
「困っていることは、ここの子達は高等学校に行きたいのに行けず、ここを出て住み込みで働かねばならないことです。」
「高校に行ける様になること、中学生になると勉強が難しくなるので一緒に勉強して貰えること、又、今日の様に、一緒に遊んで友達になってもらえる事が希望です。」と言う内容だ。
「自分にして貰いたいことは、あなた方もそのように人々にせよ。」という聖書の言葉を思い出した。
「親切にしましょう。」も、頭に浮かぶ。
私は、自分のせねばならぬことと遊ぶことで精一杯。
周りの人に親切にすることは、なかなか出来ないでいる。
プレゼントすることと親切にする事は良い事と思っていたが、相手のことを充分理解してから、適したプレゼントしたり親切にすることが大事なことに気付く。
また、高校に行きたい人が行けるようになるべきだと思うし、施設の中学生と一緒に勉強することや友達になる事は、どうにかしたいと思った。

  

Posted by トンコおばあちゃん at 15:46Comments(0)

2014年10月06日

第72回 昭和35年晩秋 クラスメイトと山登り(2)


生徒手帳の校則の中に、「校区外に出かける時は、制服を着用すること。」「生徒だけで、校区外に出かける時は、届け出る事。」を見つけた。
中学入学時、一度目にしたことがあるが、実際はみんな私服で出かけている。
また、生徒だけで出かける時も、届け出た事はなかったので、忘れていた。
突然、素行不良とは酷すぎる。
教師なら、「今後は、生徒だけで校区外に出かける時は、届け出てください。」と言うべきではないか。
そうではないから、私は、担任を「先生」とか「教師」とは言わないのだ。
そこへ、担任に呼ばれて行ったじゅんちゃんが、帰って来た。
「男子と行ったことが、問題のようじゃから、『隣の家の2年男子と約束して、一緒に行ったんじゃありません。』と説明したら、『言い訳は通用しない。不良と言われてもしようがない。』と言われたんよ。」と暗い顔だ。
私達は、内申書に書かれるような悪い事を、していないと思う。
2年の時の馨先生に相談したいが、転勤なさり無理だ。
しかたないので、しずちゃんのお母さんとお兄さんに登場してもらうことにした。
私は、その事をしずちゃんに伝えてから、職員室に向かう。
担任に近づくと、開口一番「何ということをしてくれたのだ。僕の立場を考えてくれ。」と不機嫌な声だ。
担任の言いそうなことだと、思いながら聞いた。
「しずさんのお母さんとお兄さんの付き添いで、大島山に登りました。」「問題ありますか?」と言いかけた。
それを遮るように「付き添いがあれば、何の問題も無かったんだ。それを、早く言って欲しかった。それなら、僕の立場が悪くなる事はなかったんだ。」と、担任はへらへら顔。
「内申書に書かれる様なことはありませんよね。」と確かめると、「もちろんだ。」と、担任は今まで口にした問題発言は忘れたようだ。
私の中には、文句を言いたい気持ちがあったが、「内申書に、不都合な事を書かれないよ。」と、きよちゃんに早く伝えたかったので、教室に急ぐ。
しずちゃんから、お母さんとお兄さんが付いて来ていたことを聞いていたみんなは、私の報告を聞いてやっと安心の様子。
楽しい事も心配事も共に味わい、友情が深まった気がした。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 09:55Comments(0)