› ラムネ屋トンコ › 2014年11月

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2014年11月25日

第77回 昭和36年晩春 高校生会


中学卒業後すぐ、日曜学校中学科の歓送迎会に参加して、歌やゲームやおしゃべりを楽しんだ。
その時、4月初めにある高校生会の歓送迎会に誘われたので、クリスチャンホームの嬉子ちゃんや礼子ちゃん達と参加すると、中学3年の時同じ組の哲ちゃんも来ていた。
会場の幼稚園の保育室に園児の椅子が円形に並べてあり、くじを引き席に着く。
司会者の挨拶の後、「アルプス百万尺」などの唱歌や「南国土佐を後にして」などの流行歌のプリントが配られ、みんなで歌い和やかになってきた。
次にゲームで、1・2と手を打ち、3・4は手を左右に開くと同時に、リダーが「1・8」と、自分の番号の1と他の人の番号を言う。
次に8番の人が「8・6」と言い、「6・15」「15・7」と続いて行き、だんだんスピードが増してくるが、先輩達は慣れていて余裕があり上手。
大変になって付いていけない新人は、×席に移動し、ばつゲームをすることになるが、愉快なゲームだ。
その後茶話会になり、自己紹介の後、高校生会の紹介が始った。
毎週日曜に、聖書研究会があり、月に1回は今回のような歓送迎会や親睦会が開かれ、会員みんなで相談計画して活動しているようだ。
教会からの支援もあるが会費を集め、自治的に運営しているのが気に入った。
5月ピクニック・6月花の日運動会・7月キャンプ準備・8月キャンプ・戦争の話を聞く会・9月養護施設訪問・10月・文集作りなどの行事計画が発表された。
戦争の話を聞く会・キャンプ・養護施設・文集作りは自分では出来ない事なので興味がわき、嬉子ちゃんや礼子ちゃん達と一緒に入会することにした。
最後に、外の円に女子、内の円に男子と分かれ、オクラホマミキサのフォークダンスが始まる。
特に男子は嬉しいらしく、張り切っているのが分かり、時々足の動きを間違いつつもにこやかに踊っている。
手を取り合って踊るのだが、強く握る手、引っ張りすぎる手、汗ばんでいる手、オバーに動かす手などと移っていくのだが、私は最後まで慣れず、フォークダンスを楽しめなかった。
私は男子とフォークダンスをするのは苦手と自覚したが、みんなは好きらしく、その後のいろんな会の終わりには行われた。
次の日曜の朝、聖書研究会に参加すると、哲ちゃんも来ていて、中学の時冗談ばかり言っていたが、熱心に取り組んでいるので驚く。
「はじめに言があった。」という聖書のヨハネによる福音書の勉強だが、小学科の時から、「聖書物語」というイメージを持っていたので、中学の歴史や古文に近いと思った。
だが、当番の人が、古い文語体の聖書で下調べして来たり、みんなで疑問点を出し合う研究会は面白いと感じる。
高校生会に参加したある時、「昼から、卓球を一緒にしようやー。」と哲ちゃんが誘ってくれたので、行ってみると、中学科の部屋に卓球台がセットされていた。
哲ちゃんは、中学卒業後石油会社に入社し、夜は定時制高校に通っている。
哲ちゃんの友達で運送会社に就職した靖くんも来ていて、二人で打ち合いをしていた。
哲ちゃんは、打ちやすい球が来ると、力を込めて強く打ち込み、相手が返せないと、ヤッターと歓声をあげ、ゲームをしたいと言う。
一方、靖くんは、丁寧に相手の打ち返しやすい一定の場所にボールを返して、強く打ち込まない。
そこへ、牧師先生と礼子ちゃんも着て、ゲームが始った。
中学の体育の時間、卓球を少しだけ経験したが、私はうまく打てないでいた。
哲ちゃんと始めると、早いサービスを打ってくるので、打ち返せないし、こちらがサービスを打つと、強く打ち返してくるので、すぐゲームは終ってしまう。
一方、靖くんとゲームをすると、打ちやすいサービスが来るので、どうにか打ち返せる。
すると、また打ち返しやすいボールを返してくれるので、2・3回続いて打てるので、卓球が上手になったような錯覚を持ってしまい楽しくなった。
高校生会と卓球の両方に興味が深まった。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 20:45Comments(0)

2014年11月10日

第76回 昭和36年春 高校入学


山の高校は文字通り小高い山の上にあり、周りに緑の木々や花も見られよい環境だ。
近くの生徒は徒歩通学、遠くの私はふもとまで自転車通学で、20分くらいかかる。
大学進学希望者のためと思えるが、受験科目の多い男女混合組が3クラスあり、料理や洋裁や音楽などもある女子のみの3クラスがある。
その時、私は絵の教室の助手になりたい気持ちだったので、大学に行った方がよいと思い、男女クラスに在籍した。
ところが、驚いたことに女子が3分の1しかおらず、周りが男子ばかりで落ち着かない気がする。
保健体育の時間は3クラスの女子が一緒なので、ホッとしておしゃべりに花が咲くが、少ししか話せない。
中学の歴史の授業で、日本も世界も戦争を繰り返して来たことを知った。
大分前隣の国でも、朝鮮戦争が起こったが、3年後休戦協定が調印され、その後級友が帰国したことも分かる。
去年は、岸首相の推し進めた新安保条約は戦争に巻き込まれる恐れがあるからと、「安保反対」のデモが各地で起こり、6月に大学生樺美智子さんがデモ中に倒れ、死亡した事もテレビで報道された。
私は、特に第二次世界大戦について、なぜ起こったのか知りたかったが、周りの大人達は、戦争に行った人達も行かない人も、思い出したく無いし話したくない雰囲気だ。
戦争や原子爆弾に怖さを強く感じていたので、高校ではもっと詳しく戦争の歴史が学びたいと思っていた。
歴史などの教科書は厚くなり項目は増えたが、あまり詳しく書かれていない。
社会科授業の時、「主権在民」について調べる宿題が出た時のことだ。
指名されたので、「去年、安保反対を主張する多くの人達がデモをし、警察隊と衝突した時、樺美智子さんが倒れて死亡した事が報道されました。主権在民というが、安保条約について国民の意見が充分聞かれたのか、疑問を持っています。」と、発言した。
「授業では、実際に起こっている時事問題は、取り上げないこと事になっている。教科書に載っている事を・・・・。」と教師が言う。
しばらくして、第二次世界大戦の事が取り上げられた時、「なぜ、この前の戦争が起こったのか?」と聞こうとした。
「教科書に書かれている事以外は、時間が少ないので取り上げられない。それに、近代史は大学入試試験には出ないんだ。」
と、また教師が同じ様な事を言った。
「またいらん事を言うちょる。大学受験に不要な事を聞いていらんわ。」という雰囲気が、教室に漂う。
高校では、私の知りたい事を学べないようだ。
自転車通学と授業に集中すると疲れるので、気分転換にしずちゃんの家でマージャンなどしていると、疑問について自分で調べる余力は無かった。
姉は、京都の服飾関係の短大に行き、家庭マージャンは出来なくなったので、しずちゃんの家でのゲームは楽しみになっていた。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 10:52Comments(0)