› ラムネ屋トンコ › 2014年12月

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2014年12月21日

第79回 昭和36年初秋 大学受験は無理かな?


2学期、まだ暑い放課後、大学受験希望者のための課外授業が始ったので参加した。
有名大学を狙っている男子も多く、熱心さが伝わってくる。
まず代数のプリントが配られた。
解いたことのある問題ばかりで解き始めたのはいいが、集中力が低下した感じで答えに辿り着かない。
次の英語の時間、頭が疲れて眠くなったので、英文を訳す事もできずボーっとしていた。
次の日、「疲れているので、休みます。」と教師に伝えて帰る途中、私には受験勉強は無理ではないかと思い始める。
間もなく、卒業後進路についてのアンケート用紙が配られたので、母に見せて、「絵の教室の先生になりたいから、小学校の教師になれる大学に行きたいの。」と、話し始めた。
「実はね、お父さんは学校の先生になるのだけは、反対なんよ。」と、即座に母は応える。
「従姉の秀子さんが、小学校の先生になってから、上から目線の態度で話すから、嫌いなんよ。」とも付け加えた。
法事の時、秀子さんが来てみんなに話し掛けると、それまで和やかに話していたみんなが、しらけた雰囲気になった事を思い出した。
「それに、私も大学は反対なんよ。結婚相手が大卒になり幅が狭まるのよ。お姉ちゃんのように、短大家政科(服飾科)卒なら、お見合い相手は、高卒の人も大卒の人も、両方いいのよ。」とも母は言った。
夏休みの終わりに、母の姉の家に行った時、東京の美術大学生の従姉が、体調を崩して帰っていた事を思い出した。
従姉は、兄弟が多く親に負担を掛けたくないので、アルバイトをしながら、通学していて病気になったのだ。
その時、私には、アルバイトをしながら大学に行くのは、無理と思えた。
大学受験の課外授業も受けられないし、自分自身で受験勉強は出来ないと思う。
母の話すのを聞きながら、親の反対を押し切って大学に行き「絵の教室の先生」になろうという強い意思は、無いことに気付く。
その時、父の「先生になったら、上から目線の人になる。」と決め付ける事に、私は納得出来なかった。
子どもの頃から、口達者な秀子さんに、口下手な父はやり込められていたので、単に嫌いなだけではないか。
また、母の結婚する目的で進路を決めることにも、同意できない。
私は、結婚したい気持ちはないので、卒業後、自分の出来る仕事に就き自立することが目標だ。
中学卒業後、働いている哲ちゃんや靖くん達をかっこいいと思っていたので、影響されたように思う。
また日曜学校のキャンプの手伝いをしたり、絵画のサークルに入り、余暇を楽しめたらいいな。
それまで、父や母に、強制されたことは無かったが、進路の事で親の希望を押し付けようとする事が分かった。
絵の先生については、具体的に真剣に考えていなかったが、これからは自分の進路について、しっかり考えようと思った。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 19:11Comments(0)

2014年12月02日

第78回 昭和36年夏 キャンプで壁画作成


高校1年の授業は、代数1と幾何1、現代文と古文、生物などの科学、歴史など公民社会と教科書が増えた分、忙しい感じだ。
一方、気分転換になる授業は、保健体育が週2時間あるだけで、後は全部机に座ったままの授業で、私は午後特に頭が疲れる。
中学の時のように表現したり体を動かしたり笑顔になる授業が無いので、それらの授業が懐かしい。
日曜日の高校生会で、讃美歌を歌ったり、唱歌や流行歌の歌声喫茶のようなプログラムは、オンチの私にも楽しかった。
嬉子ちゃんが出席の時は、必ず帰りに近くの図書館に寄るので付いて行き、勧められた本を読んだ。
その頃は以前に比べて、教科書と同じ程度の長さで内容が易しい小説が読めるようになっていたが、読書にあてる時間がなかなか取れない。
教会学校の部屋から、ピンポン球の音がするのを、楽しみにしていたのだが、靖くんは仕事が休みの時しか来れないので、たまにしか卓球が出来ず残念だった。
土曜日のしずちゃんの家での料理の手伝いと、週一回お兄さんの仕事が休みの夕方のマージャンが気分転換になる。
土日の楽しみがあったので、変化の無い新学期の高校生活を無事過ごし、夏休みをむかえる。
土曜日に、敏春先生の絵の教室に行きたかったが、先生は山奥の小学校の教頭先生になられて、会うのが難しくなった。
冬の大売りだしの手伝いに洋装店に行った時、「夏休みに手伝いに来てね。」と子ども服店のおばさんに頼まれていたので、いそいそと出かけた。
そんな時、日曜学校の小学科の先生をしているおばさんに、「夏のキャンプの時、子ども達で壁画を作るんよ。手つどうてね。」と、頼まれる。
キャンプは、お盆の頃で、子ども服店は盆休みなので、ちょうどいいので、「ハイ、手伝います。」と笑顔で応えた。
おばさんは絵を描くことが好きで、「日展」という大きな展覧会で入賞した人だ。
キャンプ当日、おばさんが、3人の博士の絵葉書を見ながら、4枚貼り合わせた模造紙に、太い筆に墨汁を付けて、博士達を描いた。
私も、博士のマントの裾や足を描く。
墨が乾く間に、みんなで、色紙や色つきの包装紙を、3~4センチ角にちぎる事にしたが、おしゃべりしたり歌をうたいながら楽しくドンドン出来た。
ちぎった紙を色分けした時、ちょうど昼食の時間になった。
婦人会のおばさんが、手作りのおにぎりと玉子・じゃがいも・竹輪・こんにゃくの関東煮を持ってきてくれたので、美味しく食べた。
食後さっそく、紫のガウンは1年生、緑のガウンは2年生と言う風に、みんなで手分けして色紙を貼り始める。
おやつの時間前に、大きな壁画が仕上がり歓声があがり、すぐに礼拝堂の壁に貼ることにした。
輝く壁画を見た婦人会のおばさん達が、「すごいねえ。」「よく頑張ったねえ。」「立派な作品じゃねー。」と拍手喝采を送ってくれたので、子ども達は誇らしい顔。
次の日曜日にも、礼拝堂の壁画を見た教会の人達みんなが、同様に感心して褒めてくれたので、子ども達はますます嬉しくなった。
私は、この時、やっぱり「絵の教室の助手か先生になりたい。」と、強く思った。

  

Posted by トンコおばあちゃん at 16:49Comments(0)