› ラムネ屋トンコ › 2016年06月

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2016年06月18日

第100回(1) 昭和38年8月 広島原爆ドーム保存運動


高校3年になった時、「原爆の投下された8月6日に広島に行こう。」と、高校生会の哲ちゃんや良夫君達と約束していた。
前日の原水爆禁止世界大会は、日本共産党系と社会党・総評系のグループの見解の相違で、大会開催が危ぶまれていることをニュースで知った。
「どうなっているか、行って見よう」と、話し合って出かける。
広島平和公園は人々でごったがえしていて、なにやらマイクで演説しているようだが、ざわついて聞こえない。
「社会党・総評系の人達が、今日集会を開いたらしい。」と誰かが言っていた。
「原水爆禁止協議会が分裂するんじゃないかのー。」と、哲ちゃんが言う。
原爆ドームは思ったより大きく存在感があり、人の少ない所で鳩がよちよち歩いている。
その後、私達は原爆資料館を見学することにした。
今までに見たこともない悲惨な被ばくした人々の写真や、焼け残った衣服・カバン・生活用品を見て、愕然とすろ。
被爆者の方達の痛々しさを感じ、今も苦しい生活をされているかと思うと、言葉も出ない。
おしゃべりの私だが、無口になり、山陽本線の列車に乗り帰宅した。
小学6年の時、広島から引っ越してきた百合さんが、被爆者ではないかと思っていたこともあり、私は原爆反対の活動をしたいと思っていた。
その日、広島で原爆の酷さを見て、原爆反対の気持ちをより強く持つ。
少し前、高校生会に広島から、原爆ドーム保存のための署名用紙が届いていた。
8月6日の数日後、教会学校の先生から、署名用紙と募金箱を受け取る。
外はカンカン照りなので麦わら帽子をかぶって、一人で駅前に出掛けた。
哲ちゃん達は仕事で出勤だったし、高校の友達は田舎に行っていたので、私一人で募金活動を始める。
私は、一人でも署名活動をしたいと思ったのだ。
駅前の商店街は人通りが少なく、商店の中から高校野球のラジオの実況放送が流れている。
「原爆ドーム保存のための、署名と募金をお願いしまーす。」と声を上げるが、ラジオから聞こえるアナウンサーの声と大声援に、私の声は消されそうだっだ。
  

Posted by トンコおばあちゃん at 15:22Comments(0)

2016年06月04日

第99回 昭和38年盛夏 音楽の勉強


高校3年の1学期末、担任が「就職試験受験の会社から、不採用と連絡があった。」と申し訳なさそうだ。
「この数日で状況が変わり、短大保育科に進学することにしました。」と伝える。
担任は、「それはよかった。」と嬉しそう。
次の日、園長先生の勧められた西宮の短大保育科を、受験することに決めた。
日曜学校の先生だったミカさんが、ピアノ教本バイエルと声楽の教科書(コーリュ-ブンゲン)を、週一回教えてくださることになる。
小学の時、ミカ先生は、原爆ドームや被爆少女サダコさんの事を話して下さった。
私が尊敬し憧れている女子大生で、教会の聖歌隊のオルガン奏楽もコーラスもとても上手だ。
ミカ先生宅に伺うと、すぐにおしぼりを出して下さり、扇風機も付けてくださる。
行き届いた心使いに感謝しながら、レッスンを受ける。
学校の音楽の授業で学んだことを思い出し、ピアノの上にまず右の手の指を拡げて置く。
親指を上にあげてから鍵盤をポンと打つことを教わる。
親指・人差し指・中指・薬指・小指に1・2・3・4・5と番号がついていている。
英文タイプのテキストにも、指の番号が書いてあり、番号通りに指を動かすのには、少し慣れていた。
「指を番号通りに動かせるのは、すごいわ。」とミカ先生が褒めてくださる。
英文タイプを3ヶ月習っていたことを話すと、「それはよかったわ。指を1本づつ動かすことは、難しいのにそれが出来るなら、ドンドン進むことが出来るわ。」とミカ先生。
ひろさんが誘ってくれたタイプを習って、本当によかったと思う。
ミカ先生は、良いところを見つけて励ましてくださるので、続けることが出来る。
また、3時頃レッスンの時は、おやつまで出してくださるので、その後も頑張れる。
夏休み中ほぼ毎日、幼稚園のピアノを借りて練習するが、指を一本づつ上げてポンと打って弾くことは難しい。
雨の日は、近くの瞳ちゃんの家のピアノを借りることにした。
瞳ちゃんは、楽譜を見てすぐに弾けるので感心する。
ミカ先生は、手本にバイエルの曲を一回弾いてくださるが、慣れないバイエルの曲を瞳ちゃんも弾いてくれるので感謝もした。
私は長い時間集中できず進み方も遅いので、瞳ちゃんは「大変ね。」と、同情しつつ応援してくれる。
嬉しくなり、頑張ろうと自分を励ましつつ、練習する。  

Posted by トンコおばあちゃん at 21:35Comments(0)