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2017年08月30日

第103回 昭和38年初秋 国民体育大会

第103回 昭和38年初秋 国民体育大会
高校3年の秋、国民体育大会が私の県で開かれ、山の高校でハンドボールの開会式と競技が行われることになっていた。
2学期になり、国体ハンドボール開会式入場行進時の出場団体名を書いたプラカード持って行進するために、2・3年女子の背の高い順に数十名が呼び集められた。
私もその中の背の低い方の一人だ。
早速、姿勢を正してプラカードを持って行進の練習が始まる。
まだ暑い放課後だが、ベレー帽をかぶってかっこよく行進することはめったのないことだと、みんな納得して数日間練習する。
国体開催のため、毎年ある体育祭は開かれないので、体育祭を好きな男子は残念がっていた。
いよいよハンドボール開会式当日、背筋をのばしいつもより上手に行進だ。
競技が始まると、プラカードを持った県の代表チームを応援する。
勝ち残ったチームのプラカードを持った女子は、応援で忙しかったが嬉しかった。
そんな時、「県立競技場である国体閉会式に行かんかのー?生徒会役員は皆行けんから。」と、生徒会長が話しかけてきた。
そして、閉会式案内状と国鉄の往復乗車を2枚手渡された。
「ありがとう。家庭クラブ役員を誘って行くわ。」と応えると、「役員でのうてもええぞ。」と彼が言う。
きっと、生徒会役員達は、受験勉強や模擬試験で忙しいのだと想像した。
家庭クラブ役員を誘ったが、みんな都合が悪いと断った。
高校入学時から、私は中学3年のクラスメイトのえみちゃんと親しくしようと決めていた。
が、えみちゃんは庭球部(テニス部)で忙しく、なかなか親しく出来なかった。
2年になって、私が女子クラスに移動したので、会うことも少なくなった。
これはチャンスだと、早速えみちゃんを誘うと喜んでくれ、一緒に行くことになる。
庭球部も他のクラブも、3年秋から部活はしないで、進学などの準備期間に入るようだ。
また、えみちゃんは就職先も決まって暇とのことで、私は大喜び。
当日朝、モクモクと煙をはく蒸気機関車D51(デゴイチ)に乗車する。
下車してから陸上競技場まで徒歩で向かった。
閉会式(記憶がうすい)が終わり、小学2年の時、県庁の近くに引っ越した従妹(お姉ちゃん)宅へ。
別れた時、高校生だったお姉ちゃんは、大人のきれいな働くお姉さんになっていて、あたたかく迎えてくれた。
次の日、秋吉台に3人で出掛ける。
第103回 昭和38年初秋 国民体育大会
石灰岩のカルスト台地は壮大だったが、ロバの観光用乗り合い車に驚く。
小学5年の時の郊外学習で、同級生みんなは秋吉台を訪れていたが、私だけ参加できなかった。
長距離バスで行くので車酔いが心配で、朝になって微熱頭痛が出たようだ。
親しくしたいえみちゃんと、観光したかった秋吉台で、楽しくすごせてよかった。
クラブ活動のことやクラスのことなど、おしゃべりを続けた。
いつも一緒のクラスメイトとの芦ノ湖の高校修学旅行に負けない、たのしい小旅行となる。
あとで知ったのだが、えみちゃんのお姉さんと私の従妹のお姉ちゃんは、中学高校の時親しくしていたことがわかり、不思議な縁を感じて嬉しくなった。



Posted by トンコおばあちゃん at 17:45│Comments(0)
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