› ラムネ屋トンコ › 2015年02月

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2015年02月27日

第83回 昭和37年冬の終り スランプかな?


高校1年の冬、山の上は冷たい風が吹き寒い。
教室の空気の入れ替えの為、窓を開けると、「寒いから、早くしめろ。」という視線が向けられる。
満員バスに車酔いし酸素欠乏状態になったようで、私は休憩時間ごとに外の空気を吸いに出た。
私の2組の教室は、体育時間の男子の更衣室になり、男子の汗と体臭におおわれるので、更衣後入室するとますます気分が悪くなる。
その上、もう一つ目障りで嫌な事がある。
仲良しの嬉子ちゃんや、JRCで親しくなったひろさん達に、それぞれ数人の男子の視線が、しばしば走っているのだ。
美人で人気がある女子を見つめていたい気持ちを、分からない訳ではないが、私の視線に入るので気になるのだ。
見つめられる彼女達は、「気分悪いんよ。無視したり慣れたり気にせんようにしちょるんよ。」と言う。
見つめられる立場はもっと嫌なんだと納得し、男子の視線には慣れることにした。
「勉強の成績が落ち込んだ時に、スランプと言うんよ。」と、礼子ちゃんが教えてくれる。
私は弁論大会の気分悪さと、教室の空気に適応できず、高校生活にスランプ状態だと思った。
土曜日の午後のしずちゃんとの踊りのけいこや、その後のおしゃべりは気分転換になる。
その日は、中学3年の時のクラスメイトで、しずちゃんと洋裁学校に通っているあっこちゃんが遊びに来た。
コートとカーデガンの中に、洋裁学校で縫ったブラウスとスカートを着ている。
3人でしずちゃんの家に行き、夏に縫ったワンピースなども見せてもらったが、どれも上手で感心した。
「洋裁学校に慣れたので、これからは料理教室にも通うんよ。」と2人は、花嫁修業を着々と進めるようだ。
しずちゃんとあっこちゃんと、高校生活では味わえない素敵な時間を過ごす。
私は、花嫁修業の為ではなく、洋裁や料理を身につけたいと思っていた。
次の日曜日の高校生会は、幼稚園の年中組で開かれ、半畳の木のサークルの中に石炭を燃やす大きなだるまストーブが置いてある。
酸欠にならぬよう、少しだけ窓を開けているし、しばしば空気の入れ替えをしているので、気分は良い。
20名くらいの参加者があり、讃美歌をうたったり聖書研究をした後、おしゃべりや歌を楽しんでいる。
クリスマスに、隣の市の進学高校に通っている聖君が来たので、懐かしかった。
クリスマスキャロルに参加した時、「また来れる?」と、期待して聞いた。
「何時か分からんけど、また来るわー。」と応えたので、私はまた会って話したっかたので、日曜日休まず高校生会に参加することにしたのだ。
「男子は、自分が親しゅうなりたい女子が高校生会に来ちょると、自分も高校生会に来るんよ。」と誰かが言っていた。
が、高校の教室のように男子の視線が気になる事はなかった。
高校生会も、私にとって救いの時間なっているよう感じる。  

Posted by トンコおばあちゃん at 11:20Comments(0)

2015年02月13日

第82回 昭和37年冬 弁論大会


高校1年の正月、同じ組の礼子ちゃんに誘われて、家に遊びに行った。
すると、同級生男子が遊びに来ていて、礼子ちゃんは中学の時と同じ様に男子と親しいなと思う。
百人一首をしたが、私はやはり男子は苦手で、余り楽しくない。
3学期が始まってすぐ、クラス委員が「弁論大会があるので、出場者を決めます。誰か出ませんか?」と、みんなを見回した。
教室がシーンとなり、誰も出たくないようなので、話し合った結果、推薦して選ぶことになる。
数人の名前が出て委員が黒板に名を書いたが、私の名前も含まれていた。
希望者がいないのなら、このクラスは出なければいいのにと思ったが、発言しないことにする。
ここで目立つと選ばれるかもしれないからで、黙っていれば選ばれないと思っていたのだ。
挙手して選ぶ事になり、私に10人の人が手を挙げ、2番の人と1票差で選ばれてしまった。
「私は出られません。主張したい事や意見がないので、出たくないです。」と発言。
「みんなで選んだのだから出て下さい。」と、委員が言って決まってしまった。
私は気分が重くなり、机の上に頭を落として両手で抱え込み、「中学の時、皆が嫌なことを引き受けたからじゃろうか?」と思い、がっくりした。
そのまま頭を上げないでいると、「ごめんね。私にはできんから、お願いね。」と、大好きなえみちゃんがそばに来て頼む。
「としちゃんなら出来るから選ばれたんよ。協力するからやってね。」と礼子ちゃん達も言った。
「私は、やりたくないの。みんなが出とうないんなら、このクラスは、辞退したらええのに。」と私。
「そういう訳にもいかんのよ。」と誰かが言ったので、「そう思う人が出ればええじゃ。」と、私は言いたかったが黙っていた。
その時主張したいことが、芽生えたことに気が付いた。
「生徒会活動は、運動会や弁論大会などあるが、運動会のように希望者が出場するのがよいと思う。私のクラスは、弁論大会出場の希望者はいなかった。みんなに選ばれ、出たくないのに無理やり出る事に。生徒会活動は強制されてするのではなく、自主的に活動するのがよいと思う。希望者がいない時は、辞退できるようにする事を提案します。」と主張しようと思いついた。
帰宅して、一気に生徒会活動についての意見を原稿用紙に書いて、次の日持って行き、昼の休憩時間に礼子ちゃん達に見せた。
みんなは、私が出場しそうなので、安心したようすで原稿を読んだ。
「この内容は、生徒会のみんなを敵に回すことになるよ。」と誰かが言い、皆も同感のようだ。
午後の授業が始まった。
私が弁論大会に出る流れになってしまったので、投げやりな気持ちで、窓の外の校庭を眺めた。
山の上だからか、時々風が強く吹き、昼食のパンの入っていた袋や不用の空き箱が、しばしば飛ばされている。
その時も、ゴミになった袋や空き箱が目に入ったので、私はごみの事を思った。
「パンが袋に入っている間や学用品が箱に入っている間は、袋や箱は大切にされるが、中身が出したとたんにゴミになり粗末に扱われる。ゴミ箱に入れらないゴミは、風に飛ばされたり邪魔になるとか美感を損なうと嫌われ、足で踏まれたり蹴飛ばされる。どうぞ、ゴミになったらすぐにゴミ箱に入れて下さい。又、落ちているゴミを見つけたら、拾ってゴミ箱に入れて下さい。拾う時はお腹の贅肉が取れる運動になるのですから。ゴミ箱に入れば、ゴミはホッと安心できます。」と言う文章が浮かんできた。
家に帰って、風景を思い浮かべながら、読んだら2~3分になる文章を書き、次の日周りの女子に読んでもらった。
「昨日の文よりこっちの方がええよ。」という返事を聞いた後、「今後、絶対に嫌な事は引き受けんよ。」と、私はみんなに強く伝えた。
みんなは納得してくれたので、私はしぶしぶ練習して弁論大会の日を迎えた。
私の順番が来るまで、少し緊張していたので、他の弁論は内容が分からなかった。
数箇所間違えつつも、どうにか終えることが出来たが、気分は良くないので、後の弁論も耳に入らない。
最後の表彰の時、私は3位入賞だったので、「こんなことで、3位だなんておかしい。又嫌なことで選ばれるんじゃないか。嫌な事はもう二度としないぞ。」と、思いつつ先が心配になった。
後で、「生徒会役員は、内容よりも知っている人だからという理由で入賞者を選んだらしいよ。」という噂を聞いて、納得できなかった。
弁論大会の事は、珍しく嫌な思い出として残っている。


  

Posted by トンコおばあちゃん at 16:10Comments(0)