› ラムネ屋トンコ › 2015年12月

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2015年12月30日

第93回 昭和38年冬 家庭科は楽しい


高校2年の3学期をむかえ、山の上の高校は冷たい風が走り、校庭の草木は枯れ寒さを感じる。
鉄筋コンクリートの校舎の床は冷え冷えしているが、教室は賑やかで温かい雰囲気だ。
家庭科被服の授業では、1・2学期にかけて、ゆかたとワンピースを製作。
瞳ちゃんは、縫い物が苦手なので、なかなか仕上がらない。
そこで、珍しく私の出番となり、いそいそと手伝ったのだが、これが上手でなく、縫い目が揃っていない。
中学の時も、ブラウスを手伝ったが、きれいな仕上がりではなかったので、親に手伝って貰った様に見えずうまくいった。
瞳ちゃんは、(私が手伝っても)期限ぎりぎりに仕上げ合格し、今では懐かしい思い出だ。
仕上がったゆかたやワンピースを、着る事が出来て満足。
だが、活発な私には、ワンピースの袖ぐりが小さすぎたので、着用した時は上品に動く事にした。
料理の授業も、味噌汁・鯖のムニエル・マッシュポテト・りんごの酸化予防のための塩水の割合などを学び楽しい。
一番勉強になったのは、家庭クラブの「研究」で、全国高校の連盟組織で研究発表会もあるのだ。
私達のグループは、当時女子高校生用の夏のシミーズがなかったので、欲しい気持ちから、「私達のシミーズ」の研究に取り組む。
その頃は、「スリップ」のことを「シミーズ」と言い、スカートの裾からシミーズが見えると、だらしないという意味で「シミチョロ」と言っていた
「女性の下着の歴史と世界の下着を調べる事から始めて、自分達に適したものを研究しましょう。」と、被服担当の増野先生。
何かはじめようとする時は、「まず歴史的調査と現在の状態を調査し、それらを参考に研究を進める事」の重要さを教えられ、その後の人生に役立つことになる。
また、先生は「参考にしてね。」と言いながら、プロジェクターを使って、黒板の代わりの白い大きなスクリーンに、世界の下着などを写して見せてくれた。
その頃は、今と違って、図や文章をかいた用紙や写真を、プロジェクターに通してスクリーンに写すものだった。
「黒板にかくのが大変なものでも、皆に見せることが出来るから便利よ。」と、度々珍しいものをみせてくれるので、興味深々。
「私達のシミーズ」には夏のステテコの生地に似た、クレープという綿生地が適していると思えた。
汗が出た時には、背中がランニングシャツの形態が良いが、前はシミーズのように胸にレースを付けおしゃれ感覚のデザインにしようと決める。
講堂で、研究発表会や作品展が開かれた。
「乳幼児の手作りおもちゃ」「簡単な手作り弁当のおかず」「和服から、簡単服」など、どれも感心するものばかりだった。
「素敵な高校生用シミーズだから、商品化してもらいましょう。」と増野先生が言われたので、私達は大感激して、跳び上がる。
先生が、カネボウ(その頃は服地などを取り扱っていた)という会社と交渉して下さり、夏までに私達のシミーズが手元に届くとのことで、とても待ち遠しかった。  

Posted by トンコおばあちゃん at 22:13Comments(0)

2015年12月13日

第92回 昭和38年新年 煙草



年末は、近所の美容院で楽しくアルバイトをし、夜は例年通り、テレビを観たり、百人一首を詠んで過ごす。
高校で、古文の授業があり、古い詞に慣れてきたので、内容の意味が分かるようになったので面白い。
三学期が始まり、購買部の仕事をしていると、3年の男子達の煙草の臭いが気になる。
最近、3年男子が便所にかくれて、煙草を吸っているらしいとのうわさを聞いたが、事実だと分かる。
我家では、父は煙草を吸わないが、清涼飲料の仕事をするおじさんや、田舎の祖父が吸っているので、臭いで分かるのだ。
祖父は、刻み煙草を小さく丸めて、細長い煙管(キセル)の頭に詰めて、美味しそうに吸う。
胃がんを患っている祖父は、時々痛みに襲われ胃の辺りを押さえるが、煙草をすって和らいだ顔になった。
貰いもののピースという銘柄の缶入り煙草を、おみやげに持って行くと、祖父は大喜び。
半分に切った煙草をキセルに入れて吸いながら、「安物と違って、ピースはうまいのー。」と言って、ゆっくり煙草をふかしていた。
学校の購買部にくる3年男子の煙草の臭いは、おじさんと祖父の煙草の臭いと同じだから、茶色の紙の袋に入っている「シンセイ」だと思う。
が、たまに「ピース」の臭いがして、少々驚いた。
冬になり寒いせいもあり、購買部の昼食用の牛乳が時々売れ残る。
そこで、ある日、思いついたので、「煙草の臭いを消したい人に、買って欲しいんじゃけどー。伝えてね。」と、度々パンや牛乳を買いに来る顔見知りの3年男子に頼んだ。
彼は苦笑いしながら行ってしまったが、しばらくして、数人の3年男子が牛乳を買いに来てくれた。
その頃は、「若いうちから、煙草を吸うのは体に害があるから吸うな。」と言われていた。
もちろん、学校でも「煙草は禁止」だった。
番長との帰り道、「3年の男子が、便所に隠れて煙草を吸っちょるんじゃね。隠れて吸わんと、家で吸えばええのにね。」
「2年の男子が、校舎の影に隠れて、喧嘩したり暴力を振るったりしたらしいよ。隠れてせん方がええよね。」
「隠れてするんは、なんか格好悪い気がするんよ。」
と、私は頭に浮かんだことを喋った。
番長は、頷いたわけでもなく、何となく聞いている感じだった。
しばらくして、「番長が、煙草を吸っているところを見つかって、教職員室に呼ばれたんじゃてー。」と、うわさが流れた。
下校時、番長に聞くと、「校庭で煙草を吸うちょったら、見つかってのー。『今後、絶対に煙草を吸うな』と、言われたんじゃ。今度吸ったら停学処分らしいんじゃ。」と彼。
「もう、学校では吸われんわー。」とも言う。
私は「びっくりしたー。」と返しただけだったが、良かったかなとも思った。
その後も、3年男子の煙草の臭いは続いたので、牛乳が残った時は完売に協力して貰ったが、なんだか変な気分だった。  

Posted by トンコおばあちゃん at 17:32Comments(0)