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2018年02月28日

第108回 昭和39年2月 保育科入学試験

第108回 昭和39年2月 保育科入学試験
高校3年の2月初め、入学試験の前々日夕方、夜行列車(新幹線はまだなかった)に乗り神戸駅へ向かう。
早朝神戸駅に到着、楠公さん(湊川神社)の境内を通っておばの家に行く途中、小学3年の時訪れた楠公さんと同じだと感じた。
あの時は母と姉と弟の4人で、桜の下を歩いたが、今は水仙が目に入ってきた。
又、中学2年の時、従兄のよしおさんが我が家を訪ねてくれた時のことも思い出す。
ラジオで活躍の「花菱アチャコ」の物まねが上手なよしおさんが、家族を笑いに包んでくれた。
叔母の家に着くと、洋裁学校で和裁を教えている叔母が笑顔で迎えてくれる。
午前中はのんびり過ごし、午後になると路地から紙芝居のおじさんの拍子の音が聞こえてきた。
あの時、おばさんに小銭をもらい、あめを買って紙芝居を楽しんだこと思い出す。
あの時と比べると、集まる子どもの人数は少ないようだ。
リラックスして過ごし、床に入り熟睡して朝を迎えた。
阪急電車に乗り、西宮の保育短期大学に着く。
受験科目は少なく、音楽の実技テストは無かった。
「自分のおいたち」と題しての作文が受験科目に含まれている。
「屋号が自由堂という製造業の家に生まれた私は、落ち着きのない子どもだった。」と、書き始めた。
「私はよく遊びよく遊び、そして学ぶという感じで、のびのび育った。卒園した幼稚園の園長先生に幼稚園の先生を勧められて、受験することにした。私が、とても楽しそうに遊ぶので、保育者に向いているとのことだ。しかし、私は歌もピアノも下手なので不安だった。そこで、ピアノと声楽の勉強を始めたが、上手とは言えない。音楽のテストを受けたかった。保育者になるための音楽の素地があるかどうかテストを受けたかった。テストがないのは不安だが、万一合格したら、精一杯努力したい。」と言う風なことを書いた。
学校の建物は落ち着いた雰囲気で、校庭は木々が多く明るくさわやかだ。
2年間、この短大で学びたいと願いつつ帰宅した。
2月下旬「合格通知」が届く。
出来るかどうか分からないが、初めて難しいことに挑戦することになった。
が、やりたい気持ちが強くなり、入学が楽しみになり待ち遠しくなった。



Posted by トンコおばあちゃん at 19:21│Comments(0)
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