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2014年03月20日

第39回 昭和32年春 弟ときょうだい喧嘩

第39回 昭和32年春 弟ときょうだい喧嘩
私が5年生になると、弟は3年生になり、いたずらが多くなり、2人のけんかが増えました。
弟が小学1年の時は学校に慣れるのに精一杯で、いたずらは減ったのですが、最近学校に慣れたからか、増えてきたのです。
その頃、友達の間で、紙で作った着せ替え人形が、流行っていました。
女の子の紙人形に、パジャマやドレスや、スポーティーなズボンとジャンパーとかコートなど作って、着せ替えて遊びます。
子ども部屋や台所や食堂やお風呂場などを、お菓子箱や石鹸の箱を利用して作ります。
しおりちゃんの家には、その頃ではめずらしくステキなベッドがあるので、そんな家に住みたいなと夢見つつ、ベッドルームも作りました。
自分の着たい服を考えて、紙で服を作ることも楽しいことでした。
一番大きい部屋の箱に、小さい部屋の箱や人形や着せ替えの服を入れて、風呂敷に包みます。
学校から帰って、着せ替えごっこの風呂敷包みを持って、急いで友達の家に集まり、次の日は他の友達の家という風に持ち回りです。
友達の家に着いて包みを開けて見ると、着せ替えの服などが破れているので、困ることがしばしばです。
弟が出して、破ったに違いありません。
帰って弟に文句を言うと、私を叩こうとします。
最近、弟は力が強くなり叩かれると痛いので、私は外に逃げます。
あわてていて下駄か靴を履けない時は、手に持って外へ逃げます。
斜め前の家の角を曲り小道を行くと、左に印刷屋があって右に瞳ちゃんの家があり、そこに逃げ込めば、弟は入ってきません。
私は足を洗わせてもらい、父が6時の夕ご飯の時は家にいるので、その時間に合わせて帰ります。
父の前では、弟は私を叩きません。
瞳ちゃんが留守の時は、すぐ前の切戸川の堤防の階段から、川原に下ります。
普通は川の半分くらいは川の水が流れてい、半分の川原は丸い大小の石が敷きつめられた様になっていました。
冷たい川の水で足を洗って、太陽で温まった石の上を歩くと、足は乾くので履物をはきます。
弟が追いかけてきて、堤防の上から階段を下りようとしたら、もう一方のバス通りの方の階段から上がると、追いつくことはありません。
川原で30分くらい遊んで6時に帰ることが、週に2、3回あると困ってしまいます。
ある日、けんかになり、あわてて履物を持たずに出ました。
裸足で川原に下りてしばらくして、もう一方の階段から上り帰ることにしました。
弟が小道の角に隠れていそうだからです。
バス通りの薬局のお姉さんと、ふと目があったので、「こんにちは」とにこやかに挨拶しました。
すると「としちゃんの家はきょうだい仲良しでいいね。」とお姉さんが声をかけたので、ドッキとしましたが、にっこりして手を振りました。
お姉さんは私の裸足を見て、あんなことを言ったのかなと、気になります。
もうけんかを止めた方がいいなと、思いながら家に帰りました。
夕ご飯の後、父が便所に行ったすきに、弟がまた叩こうとします。
「もういや!瞳ちゃんの家にテレビを見に行く時、連れて行かんよ!」と弟に言いました。
弟は怒って、鉛筆を持った手で、私の足を突いたのです。
鉛筆の尖った芯が、ふくらはぎに入り込みました。
私はオバーに「いたーい。いたーい。」と大声をあげました。
父が見に来て、赤い怒った顔です。
弟の頬の左右を平手でバッシバッシと強く叩きました。
弟も私もびっくりしました。
父が叩いたのは初めてで、目が潤んでいます。
弟が黙っていると「怪我をさせたらいかん。」とまた叩きそうです。
「ごめんなさい。」と弟は父に言いました。
「としこにも言いなさい。」と、父はまだ怒った声です。
「ごめん。」と弟が私に言ったので、私は黙ってうなずきました。
弟とけんかしない姉が来て、「あんたが要らんこと言うからよ。」と言います。
この時ばかりは、姉の言うとおりと思い、弟に何かを破られたら治せばいいし、なくなれば作ればいいわと、心の中で思いました。
喧嘩して父が怒るのも弟が叩かれるのも嫌だから、私はこれからは大目に見ようと決めました。
それに、夜テレビを見に行くのに、1人では許可がでないのだから、一緒に行くほかないのです。
それに「私だけが知っている」という推理番組の時、怖くて1人では帰れません。
そしてこの頃、「日本海の海岸で人さらいに連れて行かれた人がいる。」という、うわさがあったのです。
瀬戸内海の海辺も、夜は危ないと言われていて、瞳ちゃんの家のすぐむこうは海だから、大人の女の人も1人では、出掛けませんでした。
父に怒られた後、弟のいたずらは減り、2人で瞳ちゃんの家にテレビを見に行くことは続きました。
しばらくして弟は4年生になり、ある日、怒った顔をして学校から帰ってきました。
半ズボンが泥で汚れていて、膝をすりむいています。
すぐに、電話の受話器を取って電話帳をみながら、ダイヤルを回し始めました。
「僕は小学4年生ですが、学校の帰りに、中学生3人に取り囲まれて文句を言われて、押し倒されて怪我をしました。二度とないように注意して下さい。」と一気に言って、電話を切りました。
内弁慶の弟が自分で電話したことのほうに驚いて、「すごい。自分で電話してよく言えたよね。」「ほんとに。」と言って、母と姉が感心しています。
「どこで?」と姉が聞くと、「近い方の裏道を帰っとった。」と弟。
裏道は人通りの少ない道です。
弟が、私に少し怪我をさせただけなのに、父にひどく怒られて叩かれたことを、思い出しました。
弟は怪我させた中学生を怒って欲しいと思って、中学校に電話をしたに違いありません。
翌日、姉が中学校から帰って報告しました。
「昨日、中学生が小学生を取り囲んで、暴力をふるっているのを見ました。注意しようと近づくとみんな逃げました。今度見たら、警察に知らせます。厳しく指導して下さい。」と卒業生から電話があったそうです。
卒業生が弟に乱暴しているのを見て、黙っていられなくて、学校に電話をしてきたそうです。
「中学生が小学生に暴力をふるうことは、とても恥ずかしいことで卑怯なことです。決してあってはならないことです。何かの間違いであることを願っていますが、心当たりの生徒は申し出なさい。」と朝礼の時、先生が話したそうです。
弟は人通りのある大通りを、友達と通学するようにしたようです。
その後、中学生に怪我をさせられることはありませんでし、中学生が小学生をいじめた話を聞きませんでした。



Posted by トンコおばあちゃん at 07:16│Comments(0)
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