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2014年05月18日

第60回 昭和34年秋 母とのおしゃべり(1)

第60回 昭和34年秋 母とのおしゃべり(1)
中学2年の秋の日曜日、庭のけいとうの花を、縁側から眺めていると、母が新しいアイロンの箱を抱え、笑顔で帰って来た。
「このアイロンは、温度が熱くなり過ぎんから、服地が焦げる心配がないんよ。」と、新発売の温度調節付きのアイロンを箱から出した。
「今から、アイロンがけを手伝おて。」と母。
最近、母はおば(母の姉妹)や従姉妹や近所の人達の洋服を仕立てるようになった。
仕立ての途中で、「縫い目に沿おてアイロンを掛けると仕事がはかどるし、仕上げが綺麗になるんよ。」と、母が掛け方を教えてくれる。
初めてのアイロンがけの手伝いなので少し緊張するが、布が焦げる心配が無いので安心だ。
今まで、自分のハンカチとブラウスの衿だけ、古いアイロンで掛けた事がある。
少しだけなのに、アイロン台にアイロンを置きっぱなしにして、アイロン台を焦がしてしまった。
アイロン台に今も、薄いが焦げたアイロンの形が残っている。
「いくら温度調節付きと言っても、アイロン台に置きっぱなしにすると焦げるんよ。」と母に言われてしまった。
「アイロン台に置きっぱなしにしないこと。」と自分に言い聞かせながら、アイロン掛けをする。
次の日曜日も、アイロン掛けの手伝いを頼まれた。
「神戸の洋裁学校を卒業した時、おじいちゃん(母の父)が帰って来いと言うたのよ。」と母が話し始めた。
「島田の田舎に帰ってみると、周りは田んぼと畑と山ばかりで、バス停に缶詰と豆腐やあげを売っている小さなお店が一軒あるだけじゃったんよ。」と続く。
「そうじゃったの。」と私。
母とおしゃべりするのは久しぶりだ。
「しばらくして、町に住むお父さん(私の父)とのお見合いの話があって、ここへ来て見たんよ。駅からこの家に来るまでに、呉服屋時計屋や蒲団屋などの店があって自由な雰囲気じゃったんよ。」
「お見合いでは、仲人さんが話をしただけで、お父さんのことはよく分からんかったの。その後すぐ、仲人さんから強く勧められて、結婚することになったんよ。」
「田舎では、畑仕事の手伝いしかすることが無おて、おりずらかったんよ。20才過ぎたら、嫁に行くのが当然の時代じゃったんよ。」
お父さんの友達の旅館で結婚式を挙げ、家に帰ってから「お袋のする通り言う通りにしてくれ。今までそれで問題が無かったから。」と父が言ったそうだ。
父は三男だが、おじいちゃんのラムネを作る仕事を継いで、仕事のない日や夜は、いつも友達の所に遊びに行っていたらしい。
最近もそうだが。
「お父さんが『女のおしゃべりは嫌い』と言うたのよ。だから私は何も言わんで、周りの様子を見ながら、掃除洗濯をしたり、食事作りの手伝いをしちょったんよ。」
「なにも言わんかったら、なにも文句を言われんで済むと思うちょたの。その内、自由に色んなことが出来るようになると思おちょったんよ。」と、母の話は続いた。
ところが姉が産まれた頃から、戦争が段々激しくなって、食べ物が少なくなって、自由どころかとても困った暮らしになったようだ。
今まで、父が家にいる時、母が父にも私達にもおしゃべりをしない理由が分かった。



Posted by トンコおばあちゃん at 08:32│Comments(0)
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