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2015年04月26日

第87回 昭和37年夏 番長と友達に

第87回 昭和37年夏 番長と友達に
1学期の期末テストが終った日、応援練習があるので、購買部で昼食用のパンを、私1人が販売していた。
その時、応援団の3年の先輩が来て、「付き合って欲しいんじゃけど、ええかな?」というような事を言った。
突然、番長と呼ばれている彼が話し掛けたので、驚いた顔で首を傾けた。
「付き合って欲しいんじゃ。」と、もう一度言ったので、理解は出来た。
が、初めてのことで、どう応えたらよいか分からない。
応援団で一緒だから断わると気まずいし、嫌だと言う理由もないので、「友達としてならええよ。」と、頭に浮かんだので、そのまま声に出した。
「ああよかった。じゃあ、またな。」と言って、教室に帰ったようだ。
つい先日、「番長と呼ばれている人は、不良らしいよ。」と、購買部員で親しい嬉子ちゃんが言っていた。
我家で、「不良」と言う言葉を聞いたのは、中学3年の時だ。
古着バザーで、コール天の生地のブルゾンと言うジャンバーを、母が買ってきた。
長い袖を短くしてくれたので、私が試着しているのを見て、父が言った。
「映画の不良少女の様じゃ。かっこよくて似合うぞ!ええじゃあないか。」と。
次の日、元町の映画館の立て看板を見ると、父の言うとおりだと思った。
番長は、応援団のリダー的存在のようで、時々帽子を斜めに被ったり、黒い詰襟の学生服の上のボタンをはずしている時がある。
「不良」については不確かだし、友達として付き合えば、彼のことは分かるだろうと思った。
次の日の下校時、番長が校庭で待っていたので、一緒に帰る。
自転車置き場から、家が同じ方向なので前後に並んで、ペタルを踏んだ。
「家に遊びに来てくれや。」と誘われたので、「いいよ。」と約束して別れる。
次の日、応援の練習が早く終ったので、彼のうちを訪問する事にした。
お母さんは既に亡くなっていて、おばあさんが食事を作ってくれるそうだ。
「おふくろの死がすごいショックじゃった。おふくろの引き出しに入っていた物が、思い出の品なんじゃ。」と言う彼の話を聞いて、辛かったことが伝わってきた。
しばらくすると、3人の友達がやってきたので、たわいないを話しながら、トランプを始める。
楽しくゲームをして終える頃、「マージャンのほうが、おもしろいのー。」と友達の1人が言う。
「マージャンじゃったら出来るよ。役はよう分からんけど。」と、私が言うと、「マージャンが出来るんじゃったら、今度はマージャンをやろうやー。」と友達。
私は頷いて帰宅したが、なんだか数人の男子と私が、グループ交際を始めた様な気がした。




Posted by トンコおばあちゃん at 11:20│Comments(0)
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