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2014年01月18日

第11回 昭和28年晩秋 引揚者と戦争

第11回 昭和28年晩秋 引揚者と戦争
私が2年生の11月、学校から帰った時のことです。
「お疲れじゃったのう。よう帰っておいでじゃ。よかったのう。」
と、おばあちゃんが、古びた薄茶色の服を着た、知らない2人のおじさんに話し掛けています。
おじさんは手と顔を井戸水で洗い、サッパリして、台所の出入り口のそばのラムネの箱に、腰を下ろしました。
母が、大急ぎで大きいおにぎりを作って、たくわんと一緒に大きいお皿にのせて、2人の前に差し出しました。
おじさん達は一言もしゃべらず、もぐもぐと食べます。
そして、にこやかな顔になって、何度もお礼を言って、帰って行きました。
「戦争の前から、海のむこうの遠い満州に行っちょって、戦争が始まり帰れんかったんじゃ。」
「やっと引き揚げて帰って来た人達じゃ。」と、おばあちゃんが話します。
その年の暮れ、おばあちゃんが亡くなりました。
そのすぐ後、私より背が高いけどとても痩せた兄弟とお母さんの、3人連れがやって来ました。
破れた古い服を着て、長い間お風呂に入っていなくて、疲れているようで、ラムネの箱に腰を下ろしました。
母は、たくさんのおにぎりと厚揚げの煮物とたくあんを、2枚の大きいお皿に盛って、3人のところに持って行きました。
兄弟は両手におにぎりと厚揚げを持って、がむしゃらにぱくぱく食べて、「お腹一杯になった。」と、にこにこ顔です。
お茶も飲んで、3人とも元気になって、帰って行きました。
「どこの人?」と、私は母に聞きました。
「おじいちゃんが昔からラムネ屋をやっちょって、その時のお客さんじゃった人よ。」
「満州に行ちょって、戦争が始まりひどい目におおて、終わってからも苦労して、やっと船で舞鶴に帰って来たそうよ。」と母。
「朝から何にも食べちょらんから、フラフラじゃったんよ。夕方の船で、笠戸島のおばあさんの家に帰るんじゃって。」
「時々訪ねてくる人は、お腹がすいて歩けんのよ。うちに寄っておにぎりを食べてから、船に乗って笠戸島に帰るんよ。」とも話しました。
母は、それからご飯を炊き始めます。
夕食は、いつもより遅くなり、炊き立てのご飯と味噌汁だけですが、おいしく感じました。
私が2年生の間に、今日の三人連れも加えると10組以上の人達が、訪ねて来ました。
とても遠くて寒いシベリアという所から、はるばる帰って来た人もいたのです。
3年生になって、学校から映画館に行き、戦争の記録映画を観ました。
「ごおーんごおーん」と、戦闘機のけたたましい爆音が、聞こえます。
怖くて前の椅子の背に、隠れながら観ました。
若いお兄さんの兵隊を、学校の先生やおばあさんや女の人達が、日の丸の旗をふって、見送っているようすが写っています。
また、満州で多くの兵隊が、鉄砲や大きい車のついた戦車などで闘っています。
建物が崩れたり、多くの兵隊が倒れています。
なんとその兵隊の服と、我家に訪ねてきたおじさんやお兄さん達の古い服が、同じだったのです。
また、家が燃えている町で、大勢の人達が逃げ惑い、大怪我をして倒れている人もいます。
荷物を背負っているお母さんが、小さい子どもの手を引いて、あわてて逃げています。
この前、満州から引き揚げて、我家に来たお母さんと2人の兄弟ように見えます。
家に帰って、恐ろしい戦争映画のことを、母に話しました。
母が、私が戦争中に生まれたことや、戦争中の怖かったことなど話してくれました。
その数日後、私は父の戸棚の引き出しの中に、古い戦争中の写真を見つけました。
町内の若いお兄さんが、兵隊の服を着て中央にいます。
その周りに近所のおばさんやおじいさん達が、日の丸の旗を持って写っています。
私は映画を観て「戦争は他の国の人達を殺しに行くこと、戦って死ぬかも知れないこと。」と、はっきり分かりました。
近所の優しいおばさんや親切なおじいさん達が、他の国の人を殺すための戦争に、若い人を日の丸を振って送り出す姿が目に浮かびます。私はとても大きなショックを受けました。
私のなかに、「なぜ?どうして戦争を?」という疑問が生まれました。




Posted by トンコおばあちゃん at 10:13│Comments(0)
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